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カニ山の秘密 姫リターンズ

武蔵野の森
 8月の第一日曜日、お袋を老人ホームのショートステーに預けた。
老人ホームは自分が通っていた小学校の近所にあり、私の自宅からバスで10分程度の場所にある。自宅へは少々距離はあるが、散歩をするのも悪くはない。私は家まで歩くことにした。
 
 この辺りはまだ武蔵野の風景が残っている。蝉もミンミンゼミとツクツクボウシが鳴き始めていた。多摩川の支流である野川にかかる橋を渡ると向かって左に祇園寺があり、右側には子供の頃遊んだ用水路と小さな鎮守の森が見える。森の中には古びた祠があり、ここはひょうたん島と呼んでいた場所だ。

 今では周りに家が建っているけど、子供の頃は田んぼの中に浮かぶ小島のような森で、盛り上がった木々が、遠目にひょっこりひょうたん島のように見えた。

 小学校から近いので学校帰りに、ここを秘密基地として私は友達と遊んでいた。まだコンクリートで三面張りされてない用水路の川底は綺麗な砂地で。素足を入れると砂に足が包まれて気持ちが良いい、砂の中にはドジョウやエビが沢山いた。ただ田植が終わり、稲が青々とする夏は、農薬がまかれるので、水には入るなとお袋には言われていた。
 
 この用水路を20mほど上流へ辿ると佐須街道に当たる。街道を越えると深大寺から続く履(はけ)で、そこからカニ山の斜面となる。用水路は街道の下でトンネルになり、そこから水が流れ出てくる。これはカニ山から溢れ出てくる湧き水だ。今でも見た目は綺麗な水だった。

 久しぶりに湧き水を見ると、きらきら光る水面の下に何かがある。
よく見るとそれは茶色の子犬だった。透明な冷たい水の中で、静かに目を閉じて横たわていた。水の中で寝ているように見える。
誰かが捨てた。生きたままで、それは怖い。それとも落ちたのだろうか、でもこときれていることは確かだ。私はかがみ込み、水の中に手を入れた。意外に用水路は深く、肘まで水につけて、おそるおそる子犬を指でつついた。
 
 ・・・・
 「ケンちゃん、何しているの?」振り向くと、同級生のジュンコちゃんがいた。あまりにも顔が近くにあり、ビックリした。私は何とか気をとりなおして、水の中の子犬を指さした。
「あれ」
「何よ、あれって、あっ」ジュンコちゃんも透明な水の中に横たわる子犬を見つけた。
ちょっと驚いたようだが、子犬を大きな目で見つめていた。そして言う。
「生きているみたい」
「死でるよ」そう言うと、何故か私の首筋がちくちくしだした。
「行こうよ」私は怖くなっていた。見てはいけないものを見てしまった。そんな気分だった。その場を動こうとしないジュンコちゃん、私は彼女を置いたまま、ひょうたん島に戻った。
 
 ひょうたん島の基地では、相沢くんがシマヘビを捕まえていた。
「ケンちゃん、良いところに来たね。蛇を捕まえたよ」相沢くんは棒で蛇の首根っこを押さえていた。押さえられた蛇はくねくねと地面で身もだえしている。
「ケンちゃん、この棒を持って」私は相沢くんの持っている棒をつかんだ。
「逃がすなよ」相沢くんは棒から手を離して、ひょうたん島に面する道路へ向かった。

 暫くすると相沢くんは自転車に乗って戻ってきた。
「よーし、いくぞ!」と言うと相沢くんは自転車の前輪で蛇を轢いた。
蛇はまだくねくねと暴れていた。相沢くんは何度も繰り返し自転車で蛇を轢いた。10回目くらいに、蛇の腹が破裂して赤白い内臓が飛び出した。僕は気持ち悪くなり、棒から手を離した。
「離すなよ!」

 相沢くんは逃げる蛇の尻尾を掴むと今度は蛇を地面に叩きつけた。何度か叩きつけると蛇はついに動かなくなった。
しばらくその蛇を見つめていた相沢くんは、尻尾をもったまま振り回し、用水路に投げ込んだ。
蛇は一度沈んだが、直ぐに浮かびあがり、内蔵をだしたまま下流へと流されていった。
「俺は悪魔を退治した。やったぞ!」相沢くんは興奮して喚いていた。

 その時、ジュンコちゃんの事を思い出した。湧き水が出てくる佐須街道の方を見るともうその姿はなかった。先に帰ったのかと思ったが、ひょうたん島の脇の道にはまだ純子ちゃんの赤い自転車はあった。
 
「相沢くん、ジュンコ子ちゃんを見てないか?」
「純子ちゃん?知らないよ」
「湧き水の所にいたんだ。自転車もあるよ」
「自転車?その自転車はケンちゃんが乗ってきたんだろう」
「違うよ、今日は歩いてきた」
相沢くんは「ふーん」と興味なさそうに言うと、再び自転車に乗り小学校の方へ走りだした。
「まってよ!」私は叫んで、ひょうたん島の木陰からぎらぎらした夏の日差しの中に出た。

 私はジュンコちゃんがいたはずの湧き水の場所へ向かった。そこで佐須街道を見渡したがジュンコちゃんはいない。子犬もいなくなっていた。もしかするとジュンコちゃんが取り出して、何処かへ運んだのかも知れない。

 ・・・・・
 「おじさん、何してんの?」その声で、私は白昼夢から連れ戻された。
振り向くとそこに小学生の女の子がいた。長い髪と大きな目。
ジュンコ?
そんなはずはない。そうだ子犬を私は見ていたのだ。
あれ、いない。
「どうしたの?」そう言う女の子に答える。
「子犬がいたんだ」その子は水の中に目を向けた。
「なにもいないよ」
私はその問いを無視して、用水路のトンネルの上にある佐須街道へ足を進めた。道の向こう側にカニ山があった。昔と変わらないその山。
私は何かに取り憑かれたような気持ちで、道路を渡りカニ山へ向かった。

 カニ山には遊歩道があり、そこを登り切ると鬱蒼した森の中に小さな空き地があり、そこに木のテーブルとベンチがあった。
森の木漏れ日の中、サファリ帽と白いワンピース姿の女がベンチに座っていた。帽子を取って顔を見せる。大きく目を見開いて言う。
「ひさしぶり」その黒い目の中に輝く天の川。深淵の闇で輝く星々が見えた。
「姫・・どうしてここに」私は呟いた。

 「まぁ、詳しい話は後で、明日からアメリカへ行くよ」
「アメリカ?ちょと何言っているかわからない」
「シアトル経由でマイアミへ行く。明日の午後3時に成田で待っているから、よろしくね」
「マイアミ?」私は混乱していた。

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