私が死にたいと思わなくなった日⑨
こんにちは!おむすびころもです🍙
前回気になるところで終わったと思いますので、早速本題に行きたいと思います!
とその前に、前回までのお話を貼っておくので、まだ見れてないよという方ご覧下さい!
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私が死にたいと思わなくなった日
死にたい死にたいと日々思っていた私は、ある日snsでひとつの投稿を目にしました。
その投稿には3枚の画像が添付されていました。
その画像は、投稿者様のお祖母様が、投稿者様が当時2.3歳の頃に書いた手紙でした。
その手紙の文が、私の心を変えたのです。
私の目から大粒の涙が溢れました。
私が生まれた時の、母の顔、父の顔、祖父の顔、そして祖母の顔を思い浮かべました。
痛い思いをしながら私を産んでくれた母。
そしてそれを無事に産まれるよう祈りながら待っていてくれた父、祖父、祖母、家族のみんな。
私は、その人たちの思いを、踏みにじろうとしていたのです。
私が生まれることを願ってくれていた人達がいるのに、自ら命を絶とう、死んでも誰も悲しまないと思っていた自分が許せなくなりました。
生きなければ。死んだら絶対にダメだ。
その手紙の、優しくも力強い丁寧な字を見て、私の祖母が私に向けて書いてくれているように感じました。
もしかしたら、これが祖母の返事なのかもしれません。
お葬式の時に書いた、私の手紙の返事。
生きる苦しみ
それから、「死ぬ」という選択肢がなくなった私の人生は、楽なものではありませんでした。
なぜなら、死にたいと思わなくなっても、「どうせ死ぬのに」という考えは無くならなかったからです。
どうせ死ぬのに頑張る理由は何か、ずっと自分自身に問い続けました。
生きることをやめることができなくなったので、この先の人生をどう生きれば良いのか分からなくなりました。
思えば小学生から大学まで、ひたむきに音楽と向き合い、音楽を追い続けていました。
しかしそれは、今思い返すと、私に音楽を教えてくれた祖母が生きていたから、頑張れていたのだなぁと思いました。
祖母のために歌おう。祖母に歌を聴かせよう。
しかしそれは、思っているだけで叶えることはできませんでした。
祖母がいなくなったことで、線がプツンと切れてしまいました。
それは自分でも驚く程に、音楽をしたいという気持ちが綺麗さっぱり無くなったのです。
そんな中でも、演じることはやめたいとは1度も思いませんでした。
こんなどん底の状態になっても、演じたい、セリフを読みたい、誰かの心に響く演技をしたい。
その気持ちは消えませんでした。
だからといってすぐに演技の道を決めることもできませんでした。
現実問題、本当にその道に進んで良いのか…
とても悩みました。
悩んで悩んで、何も決まらずに私の大学生活は終わりを迎えました。
本当に苦しい4年生でした。
今まで積み上げてきたものから離れ、新たな道に進むのは大変なことです。
しかし、誰でも、どんな生き方でも、人は苦しい時が必ず来るのですね。
祖母のおかげで気づくことが出来ました。
私は苦しい思いをしながら、生きていきます。
最後に
まず、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
本当に、あの投稿を見ていなかったら、私は今生きていなかったかもしれません。
私の命の恩人ですね。
私が音楽をやめる理由は、賛否両論あるかと思います。
私も沢山悩みました。
「音楽をやめることは、祖母に失礼なのでは?」と。
しかし、もうどうしても、音楽を続ける気にはなりませんでした。
何が正しくて何が間違っているのか、私には分からないです。
私の過去のお話はこれで最後になります。
次回、最終回です。
ちなみに今回のプランターの花は蕾です🌷
それでは今回はこの辺りで!
ありがとうございました!
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