セーファースペース より安全な居場所へ
こんにちは。サイトウです。
9月になって北海道は少し涼しくなりました。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
今日は、最近関心のある「セーファースペース」について少し考えてみたいと思います。
最後までお読みいただけると嬉しいです。
セーファースペースとは
セーファースペースとは何か。堅田(2021)によると「差別や抑圧、あるいはハラスメントや暴力といった問題を、可能な限り最小化するためのアイディアの一つで、「より安全な空間」を作る試み」※1と定義されています。
堅田さんの著書『生きるためのフェミニズム パンとバラの反資本主義』によると、War On Womenというバンドのボーカルであるショーナ・ポッターさんが、ニューヨークの夜道で性的ハラスメントにあったことをきっかけに、セーファースペース作りに取り組み始めたそうです。
セーフ(安全な)ではなくセーファー(より安全な)という比較形容詞が使われているのには理由があると堅田さんは述べます。それは「すべての人がいつでも安心できるような完全に安全な空間など存在しないということ」を前提にしているということです。その前提のもとで「それでも''より安全な''空間を共同して作り続けていく」(同p170)ことを意味しています。つまり、到達不可能な目的に向かって漸近的に進んでいく動的なプロセスであることを意味しています。
この運動は、近年日本でも広まりつつあります。たとえばネット空間では、様々な発言に傷ついたり、傷つけたりすることは日常茶飯事ですし、デモの現場でも「安全なデモ」が行えないような出来事が起こっています。
こうした中で、より安全な場を作るために声を上げている、または実際に行動している人たちについて興味を持ったので、調べてみることにしました。
日本におけるセーファースペースへの取り組み
本屋メガホンさん(千葉県千葉市幕張)
幕張にある本屋メガホンさんは、イベント「スパイスとセーファースペース」と題して、スパイスを使ったチャイをみんなで飲みながらセーファースペースについて語り合う会を行い、その様子をzineにまとめています。※2
また、本屋として以下のルールを設け、セーファースペースを作る運動を行っています。
後述しますが、わたしは特に③④のポリシーが気に入っています。セーファースペースを作るための活動は終わりのない動的なプロセスであることを端的に表現した、非常にわかりやすいルールだと感じます。
ケルベロス・セオリー
ケルベロス・セオリーは「セーファースペース」を実践するアーティストによる展覧会です。メンバーの中には展覧会の場をはじめとしたアートな実践での差別・ハラスメントに苦しめられた経験のある方もおり、彼らの問題意識からセーファースペースを作るための運動がはじまったそうです。
セーファースペース・ポリシー(設けているルール)は展覧会ごとに異なるそうですが、ポリシーを明文化することでハラスメントへの抑止力につながっていると感じられているそうです。「表現の自由」ということばはあれど、それは人を傷つけてもいいということとイコールではありません。アートの場では自由の名のもとに特にそうしたことが起こりやすいのかもしれません。
WAIFU(クラブカルチャーとセーファースペース)
WAIFUは安心して楽しめるパーティを企画するクィア&フェミニスト集団です。『セーファースペース』ではクラブカルチャーとセーファースペースに関するトークイベントの模様が掲載されています。
浅沼優子さんによれば、クラブシーンは元々周縁化(隅に追いやられること)された人々が、自分たちが安全に遊べる場所として作られた場所であるということです。しかし近年は「健全化」の名のもとに商業的でいわゆるシスジェンダーや中流階級の人々の場所となりつつあります。これは喜ばしいことでもある一方で、周縁化された人々が「再周縁化」されているともいえます。この辺の議論は『生きるためのフェミニズム パンとバラの反資本主義』に描かれるジェントリフィケーションの事例とも似ていると思います。WAIFUは様々なイベントにおいて、「再周縁化」された人々の「脱周縁化」を目指しているといえます。
完全な安全は可能なのか
以上、日本で実践されているセーファースペース運動について紹介してみました。これらの例をもとに、セーファースペースを作るにあたって必要だと考えられることをまとめてみます。
①知ること
まずは何よりも、様々な人がいるということを知ることから始まります。『スパイスとセーファースペース』では、山もといとみさんが以下のように話しています。
「わからない」を発信することはある種「恥」とも捉えられる風潮があります。しかし誰しも最初は「わからない」から出発します。それを否定することなく、わからない人同士がわかっていくために対話するプロセスが大切なのだと思います。
社会問題、特にセクシュアリティや人種、障がい等の用語や知識は多岐にわたっており、すぐに理解することは難しいです。でも、少しずつ知ることで互いに居心地の良い場が出来上がっていくのではないかと思います。
②自覚的になること
前述した本屋メガホンさんのポリシーである「④他人を傷つける可能性に対して常に自覚的であること」はとても重要であると感じています。
何気ない行動・言動が加害性を帯びることはどうしても避けられません。居心地の良い場所という聞こえはいいですが、全員にとっての居心地の良い場所を叶えることは容易ではありません。
以前、夜のお仕事をしている方と話をしたことがあります。その方は、ほぼすべての風俗業態を経験した中で、ソープランドで働くことが一番合っており、一生続けたいと話されていました。
女性らしさを武器に生きる彼女にとって、例えばセーファースペースで何気なく「女性らしさ」を否定する発言をすることは、その方の職業を否定することにもなり得ます。
だからこそ「自覚的」にならなければならないのだと思います。自分の発した言葉が誰かを傷つける可能性がある。それを意識しながら、最善を皆で考える。これは次項で述べる対話にも繋がります。
③ルールを話し合うこと
前述したとおり、セーファースペースは「すべての人がいつでも安心できるような完全に安全な空間など存在しないということ」を前提とします。何かを決めたら、必ずそこから排除されてしまう人がいるのです。
それでも、より安全を目指すためにルールを設けることは必要であると思っています。そこで必要なのは、ルールを決めるための「対話」です。
対話は「互いがわかり合えない」ことを前提にスタートします。そして、わかりあうためにコミュニケーションを続けます。
作家の田中真知さんは以下のように述べます。
「わかった」にならないよう、それでも安心を求めて対話を続けることが重要なんだと思います。時には傷つきながらも、安心して傷つきながら対話をする姿勢が求められているのではないでしょうか。そのために知り(①)、自覚する(②)ステップが必要になるのだと思います。また、ルール(ポリシー)に柔軟性を持たせ、いつでもアップデートできるようにしておくことも大切でしょう。
④行動すること
ポリシーがある程度明確になったら、行動に移します。行動といっても、常に活動的である必要はありません。今までの実例で上げたようにセーファースペースの形態は様々です。たとえば私はフリースクールが制度上の学校というものから自由になるよう、セーファースペースとして位置付けたいと構想しています。
セーファースペースは、歴史的にネオリベラリズムと自己責任論によって周縁化された人々を、脱周縁化していこうという思いから始まりました。これは「すべての人が安心安全にいられる場所は存在するのか」という答えのない問いにチャレンジする動的なプロセスです。インクルーシブといえば聞こえはいいですが、これを達成するのは相当困難でしょう。それでも、セーファースペース達成のために多くの人が声を上げれば''より''安全な場所の確立に近づいていくと思っています。
おわりに
安全な場所であるためには、参加者が弱いままでいてもいいことも重要です(本屋メガホンさんのポリシー③)。弱いというのは、声をあげるのに気が引ける等という、強い自己責任を持たなくてもよいということだと解釈しています。
哲学者の戸谷洋志さんは「弱い責任」という概念を提唱します。
これはまさにセーファースペースを作っていくうえで必要不可欠な考え方であると感じます。戸谷氏はさらに、他者に対して取るべき態度として「保証」と「信頼」を挙げています。他者の未来があることを保証し、それが困難でも生き抜くことができるという「信頼」の態度を相手に伝えることで、そこが安全で安心な場に近づくのではないでしょうか。この考え方は、主に精神障がいのある方に対する「ストレングスとリカバリー」の視点にも似ていると感じています。
数々の取り組みに、わたしも賛同し、参加していきたいと考えています。
セーファースペースに興味を持つ方が一人でも増えることを心から願っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
参考文献
堅田香緒里(2021)『生きるためのフェミニズム パンとバラの反資本主義』タバブックス,p.167.
山もといとみ・浦野貴識編(2023)『スパイスとセーファースペース』本屋メガホン.
皆本夏樹+gasi editorial編(2023)『セーファースペース』gasi editorial.
田中真知(2023)『風をとおすレッスン 人と人のあいだ』創元社.
戸谷洋志(2024)『生きることは頼ること「自己責任」から「弱い責任」へ』講談社現代新書.
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