アイスランド、最初の2か月を終えて②
ここでは学びにフォーカスして語りたいと思う。
私は学問をするためにアイスランドに来た。それが大学生活をわざわざ1年延ばして交換留学という手段で来た理由だ。
しかし、当初から自分がデザインしていた学びとは少し異なっている。
交換留学先が決まったとき
アイスランドが留学先に決まったとき。
それは2回の学内選考を経てのことだった。
当初は他の北欧の国に出願をしていたが正直あまりぴんとこなかった。
1回目の選考で落選した私はいよいよ真面目に留学先を探し始めた。
私は心理学を専攻していている。
私はこう考えていた。
というのも自分の家庭環境の問題、児童養護施設のアフターケア施設でのアルバイトの経験をもとに、児童福祉法では足切りされてしまうが社会的自立のサポートが必要な18~25歳の心理について漠然と知りたいと。
大学での勉強で感じた足りなさを、心理というミクロな視点よりはもっとマクロな視点で社会や福祉を見ることで埋めることができるのではなっかと。
正直国はどこでもよかった。こういうと他の人に角が立ちそうだが、どこの国に行ってもなにかしら得るものはあるだろうと確信に近い何かがわたしのなかにあった。
めぐりあわせの国
この中で「マクロ」の視点というのが、アイスランド社会への興味を抱かせた。
アイスランドの皆さんごめんなさい。
アイスランドは北欧の一部として存在自体は知っていたが、どんな国かはあまり知らなかった。
交換留学先の国立アイスランド大学のシラバスをめくってみた。アイスランド社会、ジェンダー、sustainability。
アイスランドはジェンダー平等指数のある調査で世界1位を守り続けている国らしい。母と父の離婚・DVの問題をそばで見てモヤモヤしていたことと、福祉の現場で見える女性特有の悩み、問題。今あるモヤモヤが「ジェンダー」というワードにすこし反応した。
さらに私はアイスランドの人口ピラミッドに目がいった。アイスランドは日本社会と反対して若者層が多い社会、おもしろそう。若者層の心理学論文を漁っている私にとってはなにか学べるかもしれないと思った。
期待をふくらませて私はアイスランド大学の門をたたくこととなった。
思ったのと違う
こうして私はアイスランドに飛んだ。学部は教育学部。でも他の学部も自分の単位の40%ほどとれるらしいのでよかった。
しかし、イメージと違った。シラバスで見るのと、実際学内システムで登録してみたコースの感じが異なった。これは私の英語力不足もあるかもしれないが。
日本で先にnominateしたときに、履修はあとからでも変更できると聞いていたので、渡航前に昨年留学していた子に面白かった授業を聞いていた。
それらの授業を、私もとろうと最初から履修を変更する気満々でいた。しかし、期待とは裏腹の結果だった。
とりたかった授業
とりたかった授業のほとんどが開講していないという事態。
教授のリーブなのか、受講生が少ないからなのか。
しかし、nominationのときにその授業をとりたいと言ってないわけだし、仕方なかったのかもしれない。
ほんとにがっかりした。
しかし、それだけでは終わらなかった。ここで役立ったのがspead friendingで知り合った何人かの留学生で同じような関心を持っている子にどんな授業をとるか聞いた。
当初、40%しかとれないはずの他学部の授業だったが、聞いてみるとそれを破ったとしても学位をとらない交換留学生からしたたいした支障がないらしい。じゃあいいっかと、大胆にチェンジ、結局教育学部の授業は1つだけになった。
international officeには40%だよとくぎをさされたが、履修変更後も何も言われていないのでたぶん大丈夫であろう。
(これは日本の大学にもよる、私は当初から卒業要件に関係ない単位として、留学中は心理学以外の単位をとると決めていたため大丈夫だった)
あれもこれも
結局あれもこれもになってしまい、聴講も含めると5つ授業をとることになった。同じ関心の子はmasterの子が多くて、初回の授業を出席してわかったがとてもじゃないけどついていけなかった。単位としてとるのは不安があったため、その授業の教授に相談して聴講させてもらうことになった。
当初、international officeには聴講はできないと言われていたが、教授にメールか突撃すれば問題なく許してもらえることが分かった。
こうして予想していたより1つ多い授業を受講し、興味のあるゲストが来るときにだけ参加するといった部分参加をする授業も1つ、2つ、わくわくしていた。
さっそくでてきた課題
これはみんな留学する子が経験すると思うのだが
"Reading"の効率性を意識しなければやっていけない。
授業前にリーディングがえぐいほどある。
これが毎授業、毎論文30枚以上ある授業あるのでこの心理的重さがえぐい。
まあでも新しいことを知れてとても満たされる気持ちになるのも事実。
しかし、先生の特徴的ななまりが気になり、内容が入ってこない。
アイスランド語特有のなまりがあり、だけど幼い頃から英語とアイスランド語のバイリンガルで育ってきたアイスランド人の英語のスピードはネイティブとかわらない。
きれいな英語に慣れすぎている自分だから、アクセントには苦労している。
ディスカッションもアクセントの違いから聞くことにつまづき、聞き返してすごい根気がいる。
はっきりいってストレスだ。
英語力?対応力?
日常会話に困ることはあまりないが、授業でのディスカッションは違う。
政治、社会、地学・・・
日本語では簡単に伝えられことが話すことができない。
伝えたいことを伝えられない。
ストレスがたまる。
自分の英語力にがっかりするからだ。
でもそのたびに自分自身に期待し過ぎなのだと
我に返る。
わたしはなにをうまくやろうと、スマートに振舞おうしているのだと。
なんとかしなければという気のほうが強くて
とにかく今のある英語力をフルに使えることがベストだと言い聞かせてる。
しかし、ここにきて思うのは
「対応力」が英語同様、もしくはある程度英語ができる人にとっては必要だということ。
これはレスポンスするということはもちろんだが、
問題に直面したときに一番現れる気がしてる。
レジリエンスともいえるかもしれない。
なんとかしなければという危機感なのであろうか
とにかく先生に突撃しまくっている。
毎回のディスカッション、毎回のラリー、聞き返す。
そんな根気強さをもとめられているきがする。
まだ知らないことが沢山ある
たったの2か月だが、学びはとても豊かだ。
ここでの学びがどう自分の学びに結びつくのか想像もつかないがそれもすごくワクワクしている。
次に続く
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