こんにちは。昨日一日中寝て体内時計が狂い、こんな時間に更新することになりました、ここそぼろと言います。 ここそぼろというペンネーム。これは心がそぞろな時にこそ、このnoteを更新していきたいという意思表明でもあり、ちょっとくすっと笑えるペンネームをと考えていたときに降りてきた名前でもあります。 職業私は都内の大学に通う4年の学生です。 2024年の8月からアイスランドへの1年間の交換留学を控えています。 大学は5年で卒業予定、故に就活で忙しいはずのこの3月も3年以下の学生と
Noteを先延ばし先延ばしにしてしまっているが、書かなきゃいけないと思い書くnoteにはしたくないのでよしとしている。 もうすぐで3か月が経過するという時期になってしまったが、 1番私にとって懸念事項である、留学中のメンタルヘルスについて2ヶ月分の記録を残しておこうと思う。 わたくしの事情留学中は慣れない環境の中ストレスがたまったりホームシックになったり、自身のメンタヘルスの危機を感じることは誰しもあることだと思う。 人間の当然の反応なのかもしれない。 私は日本にいるときか
ここでは学びにフォーカスして語りたいと思う。 私は学問をするためにアイスランドに来た。それが大学生活をわざわざ1年延ばして交換留学という手段で来た理由だ。 しかし、当初から自分がデザインしていた学びとは少し異なっている。 交換留学先が決まったときアイスランドが留学先に決まったとき。 それは2回の学内選考を経てのことだった。 当初は他の北欧の国に出願をしていたが正直あまりぴんとこなかった。 1回目の選考で落選した私はいよいよ真面目に留学先を探し始めた。 私は心理学を専攻してい
アイスランドにきて約1か月半が経ち、あと1週間半で2か月となった 書きたいことはありあまるほどあるのに調子が芳しくなく 休んでいるときはいつも寝ている現状が今週に入って変わりつつある Spead Friending最初の一か月はとにかく、情報を消化するだけで精一杯だった。 最初のオリエンテーションウィークは、とにかくいろんなイベントがあり、そこで友達をつくる流れだった。 国籍、メジャー、東京の話、そんな短絡的な会話で友達になれというのだからずいぶんすごいことだが、意外と効果
無知の知 大学で受けた哲学メジャーの授業で、教授が「厳密にいうと無知の知という日本の言い方は間違っている」と言っていたのを思い出した ということでこの表題である 留学に来て1番知ることはなんだろう 異なる文化? 異なる言葉? 異なる社会? いや違う “知らない” ということだ 言い方を変えれば 新しいことを知るということであり このことを思ったのはある友達との出会いだった 彼はキプロス出身で日本について学んでいる 最初会ったとき、キプロス出身だと言われて私はそ
私は今異国の地にいる 東京から乗り継ぎを経て18時間 途方もない距離と 時間が過ぎさった この道のりの重みに 不安でおしつぶされそうな自分と この道のりがもたらしてくれるものに ひそかに胸を高鳴らせる自分が 競り合うように 存在していた
愛されるために愛すのは悲劇 (藤井風「満ちてゆく」)
ぎゅうぎゅうずめの箱のなか ななめ前の ショートの高校生の胸元に 淡い紫のフリージアが 友によって 咲いていた 憧れという感情が 共に寄り添って 咲いていた
手を放す、軽くなる、満ちてゆく (藤井風 「満ちてゆく」)
我慢は体に現れて 心の乱れは部屋に現れて 寂しさは食事に現れて 本性は非常時に現れて 選択は人生に現れる 目に見えないものは 目に見えるものが気づかせてくれる 手遅れにならないように 自分で気がつくこと
本日YouTubeに上がっていたニュース動画で、記憶に残しておきたいニュースがあったので、書き記しておきたい。 福山里帆さん(24)が実名を公表して、実の父親からの性的暴行を訴え出たのである。 まずはこのニュースを見て「実の父親が」性的暴行をはたらいたということに驚きを隠せない人も多いのではないのではないだろうか。実際同じ動画を見た大学3年の友達は大変驚いていた。 しかし、これは統計上でも表れている。性的虐待を受けた子どもの約4割が実の親から被害を受けているというデータ
私には大学に入ってから憧れている人がいる。 その人に抱く感情に“憧れ”という名前がついたのはつい最近のことである。 その人とは先輩を通して知り合った。 はじめて会った日は湘南に行く夜間ドライブの車の中。 彼女は二子玉川から乗車してきた。その日は映画を観ていたという彼女。 軽やかな自己紹介。初対面ながら自分の家庭環境のことをおずおずと話したのを覚えている。この人になら話せるという人を包む力を彼女からたしかに感じたからである。 彼女も母親との関係で思うことがあったようで話が
最近ずっと心にひっかかってる言葉、やりとりがある。 久しぶりにキャンパスにくり出すと十中八九出会う人から出る言葉。 「おお元気?」 「元気にやってる?」 この言葉 会話の第一声とも言えるこの言葉は たいていは深い意味はない。 でも、 無意識に他者の期待を感じ、 極端にも、元気じゃないと生きていちゃいけないような気がしてくるのである。 いつからか元気と答えると、私はなんだか心がすり減っていくことに気がついた。 というのも、私は自己評価において元気のない日が圧倒的に多いからで
おてんばだった私 気に入らないことがあると路面にそっくりかえってた 小さい頃は下に住むおばあちゃんに人懐っこく そそっかしくしてた 湯呑みを滑らせて 割ってしまったとき あーまずったなって 子ども心に冷や汗をかいた 飛んできた父の手 あっという間に地面に飛ばされる 痛い パパを怒らせた そんなことがたくさんあった ゆっくり歩く私の 後ろをついてくる父 そののんびりさが気に入らないのか 足蹴りされる 「のろのろ歩くな」 パパをまた怒らせた
はじまってはおわっていくもの。 終わらせないのが結婚なのか。 愛を終わらせない方法とは いったいなんだろう。
愛すことは互いを見つめ合うことではない。同じ方向を見ることである。