2月① 春を待つ雪の茅葺き屋根の下(積雪の大内宿@福島県南会津)
写真:大内宿:緑の夏と積雪の冬(Wikimediaより)
ぼくが生まれ育った京都でも、昔はかなりの雪が積もったものです。が、最近の積雪は、せいぜい10センチ程度。それでも「大雪だ」と騒ぐほど、降雪量は少なくなりました。
そのことはさて置いて「雪」の文字を目にすると思い出す言葉があります。いわく、
「雪は天から送られた手紙である」
この言葉を残したのは物理学者にして随筆家の中谷宇吉郎(1900~1962)です。
で、最近の「天から送られた手紙」に関するニュースなどを少し詳しく読むと、目や皮膚の痛みなどの健康被害をもたらす「酸性雨」ならぬ「酸性雪」が降ったり、北極圏やアルプス山脈の積雪にマイクロプラスチックが検出されたり……。雪を作り出す地球大気の汚染の深刻さに気づかされることしきり、といったところです。
写真:中谷宇吉郎と雪の結晶(Wikimediaより)
ところで、中谷宇吉郎といえば、世界で最初に人工雪を作ることに成功した人としても知られています。石川県の、今は加賀市で生まれ育ったといいますから、やはり子供のころから雪に親しんでいたのでしょう。
で、大学は東京帝国大学の理学部物理学科に進学し、物理学者にして名随筆を残したことで余りにも有名な寺田寅彦に教えを受けました。このことが彼を、物理学者としてだけではない名文家に育て上げたようです。
冒頭の短文は、そうした資質のもたらしたものなのでしょう。
そして1930年、彼は北海道帝国大学に助教授として赴任しました。そして翌年、京都帝国大学で理学博士号を受けたのち、1932年ごろから雪の結晶の研究に着手したようです。
ところで、一定の水分を含んだ空気を冷却すると、雪の結晶など簡単に作れそうだという気がします。が、そうすると出来るのは単なる氷の結晶になってしまい、なかなか美しい雪にはならなかったようです。
実際、ちゃんとした雪の結晶ができるようになったのは4年後の1936年のことでした。その功績を顕彰する六角形の石碑が、今も北海道大学の構内に残されています。
とまあ、こんなことを思い出しつつ、福島県南会津の大内宿の積雪風景を「にっぽん原風景」の一つとして取り上げてみました。
子供のころ、雪が降ると、朝一番に起きて黒いビロードの布で受け、虫めがねでのぞいたものだ。一瞬、六角形の結晶が輝く。が、すぐに解けて水滴になるのだった。
まだ電気冷蔵庫が余り普及していなかった時代の話だ。卵と牛乳と砂糖に新雪を加えて「アイスクリーム」を作った。それが、雪合戦で汗まみれになった体に、とてもおいしかったのを思い出す。
雪の語源には「清め慎む(つつしむ)」を意味する「斎潔(ゆきよし)」や「神の降臨」を意味する「御幸(みゆき)」などに由来するといった説がある。そこには、空中に舞う雪の姿、はかなく消える純白を「風雅な美」と捉えた京や大和で捉えられた古い日本文化の感覚が映し出されている。
それに対して、豪雪地の越後に生まれ育った江戸末期の商人にして随筆家の鈴木牧之(1770~1842)が著した『北越雪譜』には、さまざまな雪国の苦労が描かれている。
そういえば青森の豪雪地や白山の麓の村で、雪に押しつぶされる寸前の家に現われる異様な形相、破壊の瞬間の、骨を砕くような轟音の凄さを話に聞いたことがある。
今ひとつ思い出すのは1998年に開催された冬期オリンピックである。その会場となった日本の長野は冬季オリンピックの歴代開催地としては最も赤道に近い緯度に位置していたのだった。
不思議はない。大陸からの冷たい北西風が日本海で水分を含み、それが脊梁山脈に当たって雪を降らせる本州以北の日本海側は世界有数の豪雪地帯なのだ。
奥羽山中、会津若松の南、大内宿も、そんな豪雪地帯にある。そこに冬は藁の雪おおいで囲われる、江戸時代以来の茅葺き屋根が雪を頂いて、ひっそり息づいている。
路上の石灯籠も、光の加減で現れる、ほのかな陰影に姿を託すのみ。
が、住まいのなかに人々の暮らしがあるように、吹きすさぶ寒風から守られた雪の下では、草木がたっぷり水を吸い、来る春への準備を整えている。
雪に託して、自然の厳しさと豊かな恵みを、ふたつながらに教えてくる風景が、そこにはあるのだ。