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「からくり人形」は「ヒト型ロボット」のご祖先様

                        写真:Wikipediaより

 日本人は「からくり」が好きだ。漢字では「絡繰り」と書く。糸を縦横から引っ張って仕掛けを動かすことが語源だとされる。
 糸だけでなく、ぜんまい、水などの仕掛けで動くからくり人形は、歌舞伎や人形浄瑠璃の演出にも影響を与えた。

 そんなからくりに関する書物に、江戸時代の1796(寛政8)年に出版された『機巧図彙(からくりづい)』という指南書がある。
 その書物にからくり人形がいくつも紹介されている。

 人形が盆の上に茶碗を載せて近づいてくる。人が茶碗を取ると、その場で止まる。お茶を飲み終えて、再び茶碗を載せると、くるりと向きを変えて、もと来た道を戻ってゆく。そういえば井原西鶴も、
   茶をはこぶ人形の車はたらきて
 という句を詠んでいる。これが、茶運び人形だ。
 
 江戸時代にこんな技術があったことに驚かされる人は少なくあるまい。しかも、人形が人間とやりとりをする。独創的だというほかない。
 世界を見渡しても、ちょっと類を見ないのではないか。

 どうやら、日本人と欧米人では、機械に対するイメージが、ずいぶん違うのだろう。
 欧米人にとって機械は、ときに人間と対立するイメージが強い。
 それだけではない。
 「人間を創造したのは神だ」
 という思想の影響なのか、彼らはヒト型ロボットヘの抵抗感が強い。

 しかし、日本人にとっては機械一般が「お仲間」なのだ。すべてのモノに霊魂が遍在していると考えるアニミズム(精霊崇拝)の影響があるのかも知れない。

 だから、なのであろう。日本人のロボット研究者は、欧米人に比べて、ロボットを人間にどう似せるかを徹底して追及する傾向が強い。
 げんに日本では1996年、ホンダは世界で先駆けて自律型の二足歩行ロボットを開発した。

 そういえば昔、ヨーロッパではラッダイト運動が起きた。
 ここでいうラッダイト運動とは、イギリス産業革命が盛んになった1810年代に、繊維産業を中心とした職人や労働者が引き起こした「機械打ち壊し運動」である。これに参加した人々は、当時の生活苦や失業が機械化や技術革新の結果だと考えたのだ。

 ところが日本では、これと同様の運動が起こることはなかった。機械にも、作り手や使う人の魂が宿る。そう日本人は考えたのであろう。
 このことは「針供養」などの風習を思い出せば、容易に理解できるはずである。

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