![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/145489369/rectangle_large_type_2_dccf81f5db17bd1df3bad1c7aeb825d7.jpg?width=1200)
ただそれだけのこと
そんなことってある?という出来事だった。ねじって開けるタイプの水筒の蓋が壊れて、開けられなくなったのだ。蓋の内側の部分の溝が割れて、ボトルに食い込んだまま表面だけが取れた。
出先で一口飲んだだけの水出し緑茶がほぼフルに残ったまま。
なんでこんなことになったんだろう?普通に水筒の蓋を回して開けようとしただけなのに。
その日は仕事がたまたま休みで、父の病院に付き添った。検査の結果、投与している薬、高価な注射…いろいろ説明が足りなくて父が「わからんねん」と。「説明してもらおうやないかい」くらいの勢いで、外来で待ち、父の先月の血液検査結果の紙を見ていた。その時だった。お茶飲もかな、と水筒の蓋を回したら、わたしの握力が百倍くらいになったらしいのだ。
結局、父の主治医は「は?」みたいな医師(わかる人にはわかると思う)だった。薬はそのまま。治療に不満があるとでも?という空気で、看護師さんがおどおど双方の顔色ばかり見ていた。わたしとしては父が心配だし、別の病院といってもどれほど遠く、負担になるかもわかっていたので、この先生との関係を悪くすることは何の得にもならないことはわかっていた。でも用意してきた質問はまだいろいろあった。父が目線で、もういい、と言っていた。それなら…もうそれでいいかな、と思うことにした。
「来てくれてありがとう。忙しいのに悪かったな」と父は言った。母も「もうしゃあないねん。前よりはようなってるし」と言った。先月のGWにも会ったのに、その日の両親は、病院で会計をするのも、薬局で薬をもらうのもなんだかとても年齢を感じさせた。思えば若いころの父は、いわゆるオーソリティに究極の質問をして核心をつく人だった。こんな場面でガツンと言える人だった。その気概こそ受け継いでいるはずのわたしだか、肝心なところで怯んだ。
わたしは何も役に立たなかったし、ただ水筒が壊れた。
人はみな年老いる。忘れている時もあるけれど。特に親の老いはしんみりとやって来る。そして自分だって…。
その日は病院の帰りに、早めの時間だったが「おいしいラーメン屋さんがある」とのことで3人でお昼ごはんにした。食欲はあるし、それを見ていると元気そうだな、と少しほっとした。餃子まで取って食べていた。2人の間に座っていると、子どもの頃を思い出した。こんな幸せがずっと続いてほしいけど、時は止まらないのだ、と思うと、しょうもない話をしたりして涙をこらえようとした…
帰宅してからカポっとはまって動かない蓋をラジオペンチ(!)で回して取った。わたしの怒りや不満を吸収して身代わりになって壊れてくれた水筒の蓋は、実はこんな作りだった。
メーカーの製品番号を調べて注文すると10日ほどかかったが新しい蓋が購入できた。水筒は元のように使えるようになった。よかった。蓋が壊れた…ただそれだけのこと。でもあの日、何かを失ったような気がしてならないのだ。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/145489552/picture_pc_352fdfe06bffcbecfb2328ae05b0ea5c.jpg?width=1200)