3月9日「何者にもならない」決意を。
この日、私の肩書は外れた。
理由は簡単である。退職したのだ。
ずっと何者かになろうとしていたのに、何者かになるために、何かに挑戦していたはずだったのに、いつからか「何者かになること」を目標にするのをやめてしまった。
「何者かになること」そんな漠然とした目標は、目標にはなりえないのだ。
そんな甘い世界ではないのだ、きっと。それは「自分探し」の旅にでて「自分」などなかなか見つからないのと同じなのだ。
「自分」も「何者か」も所詮は自分のためではないのだ。気づいてた?
それはいつも誰かに説明するための肩書でしかないのだ。
「誰かにとっての都合の良い回答」そんなものに時間を費やさなくていい。神経を使わなくていい。
鈍感でいいのだ、他人の「自分への評価」など。
名刺はなくなり、福利厚生もなくなった。でも、私は誇らしいのだ。
無職だ、そう、私はいま「無色」でもあるのだ。
何色にでも染まれる、私の可能性は今無限大なのだ。
なんて言葉遊びをしてみたり。
全然話がそれるけど、私は言葉遊びが好きだ。深刻な内容も、響きも、すこしひねると真逆の意味になったり、ポジティブな言葉に変わったり。
言葉にとらわれすぎずに、世界はいつでも見方ひとつで味方にも敵にもなる。そう、こんな風にね。ん?何か違うかな。まぁいいや。
そう、何者かなんかにならなくて良くて。
そんななんとなく「立派そうなこと」にこだわらなくて良いんだよ。
やるべきことは、シンプルなんだ。
肩の力を抜いて、目を閉じて、耳をふさいで、深呼吸して、静かな場所で、自分の一番やりたいことを、自分自身に問いかけよう。そしてそれを、小さくてもいい、ゆっくりでもいい、じっくりと叶えていけばいい。
自分の信じた道を行けば、正直に生きていれば、いつの間にか近くで見ていてくれている人が、勝手に私たちを「何者か」にしてくれるから。
その評価を、ありがたく受け取れば良いんじゃないかなって思う。
自分を裏切るな。自分を欺くな。自分を蔑むな。
あなたの生きたい、あなたを生きればいい。
それが例え誰かを悲しませることになろうとも、「裏切り」だと言われることであろうとも。
世界は一つじゃない。見方を変えて、味方をみつければいい。
全く同じタイトルの有名な曲の歌詞の中にもある。こんな言葉を。
"新たな世界の入り口に立ち
気付いたことは1人じゃないってこと"
"上手くいかぬこともあるけれど
天を仰げばそれさえ小さくて"
3月10日の今日、私は新たな世界の入り口で、確かに手を取れる人々の顔を思い浮かべている。送り出してくれた人々の声援と期待を背負って。
世界へ、出ていく。新たな、物語のために。
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