TOKYOオリンピック物語 を読んで オリンピック開催の意義について考えてみました
20年東京大会(昨年開催のもの)が終了したときは特に感慨はなく正直なところそれなりに無事に終わってよかった、という感じでいっぱいでした。
今回の22年冬期北京大会が終了した後(まだパラリンピックが残っていますが)、ふと、オリンピックって結局なんなんだろう、という感慨がふつふつとわいてきました。
そんな中で、異なる2つの論調の64年および20年東京大会について考察した本がありましたので、計4冊を読んでみました。
それらについて一つ一つ考察していきたいと思います。
いつもの通り、読書ノートをつくっていますので、其れをほぼそのまま掲載していくという体裁でいこうと思います。
私の読書ノートの判例を以下に示しておきます。
です。
まずは、以下の書籍から始めます。
書名 TOKYOオリンピック物語
読書開始日 2022/02/24 10:39
読了日 2022/02/25 14:52
概略
企業ドキュメンタリーで何度か読んだ野地秩嘉氏の著作。
その筆致は非常に軽快で読んでいるとのめり込むような感じを受ける。その野地氏がどのようにこのオリンピックを考察するのか楽しみで購入となった。
続編(20年東京大会版)もあるので、これを読了したらそちらを続けて読んでみよう。
読了後の考察
野地氏の文脈は非常に明るい感じがする。批判しているところはあるが、建設的であるところもある。このあたりが読んでいて気持ちが落ちるか落ちないか、というところだろう。(もちろん論点が正しいかどうかの方が重要だが)
今回は64年東京大会について子細に述べている。いくつかのテーマを用いて64年東京大会を浮かび上がらせている。
読了して思うのは、64年東京大会では、最初に組織委員会が思っていた理念が一般の人にうまく浸透したのが成功の理由の一つではないかと思う。
つまり「戦後の日本の復興を世界の人に見てもらおう」という大きなモチーフがあり、それに言及しなくても(必死になって世論を形成しようとしなくても)日本の都市部、特に建造物が変わり、新しいものができたりすることによって一般の人もモチーフを容易に感じられたのではないか、ということだ。
そして、企画側(政府など)も、一種の時間的有限性(締め切り)を設定されたところで、色々なものを先取りして仕上げてしまう、ということができたのだろう。
時代というコンテクストの問題もあるが、「デザイン」が大きなキーワードになっていた大会であると思う。デザイン関連の人をうまく引きつけることができ、その人たちが現場である意味中心的に動いて大会を形作っていくことができていたように思う。これこそ現代で言う「デザイン思考」の運営や経営につながるのではないかと感じた。
あと、面白かったのは日本人は勤勉になったのは64年東京大会以降だと言うこと。
日本人は勤勉だというのは昔から、というのは大きな間違いのようだ。
このあたりももう少し深めてみると面白いかも知れない。
本の対象読者は?
オリンピックの意義について知りたい人
東京3大会の歴史的経緯を知りたい人
著者の考えはどのようなものか?
→☆世の中が規律化社会になったため、指示待ち族が増えたと言うことか。マニュアルを作ると言うことは大事だが、そのマニュアルは常に改訂される(時には新盤をつくるようなことをしなければならない)必要があることを、それでうまくいっているので忘れてしまっているのではないか。
・64年東京大会を契機に取り入れられたことをいくつか見つけてそれについて論考を深めている。
対象になったのは
1.デザイン(大会のロゴや写真の入ったポスター)
ロゴはそれまではなかった。ポスターは絵画調のもので、写真のような写実的なものを使ったものはなかった。
これによって新鮮なイメージをつくることができた。
2.記録電算システム
いままでは手で記録し、さらにそれをソートすることによってレコードブック(大会の記録集)をつくっていたが、それを電算化することによって閉会式の時にはほぼ内容的に完成するようになった、というもの。これ自身は省力化、という意味ではすごいことだが、プログラムを平易な文法で書くことによって、オリンピック以外に応用が利いた。これにより銀行のオンライン化や他業種のコンピュータ導入が進んだと言われた。
3.食事供給システム
業界全体として取り組んだ所が特筆されるところ(日本ホテル協会が受注し、材料費程度しか受け取らなかったとのこと)。
ここでの特徴は冷凍技術をうまく使えるようになったこと。数万人の食事を24時間体制で供給しなければならないため、食材はどうしても冷凍物を使わなければならない。冷凍および解凍技術の開発と、セントラルキッチンの発想ができた。これにより結婚式の披露宴がホテルで大規模で開かれるようになったこと、そしてファミリーレストランが隆盛を極める理由になった。
4.民間警備
セコムは、64年東京大会で、軌道に乗り出した。
新しい業種をつくると言うことがかなった、ということ。
これ以降、セコムは機械警備などにも注力していく
5.記録映画
現在もオリンピックでは記録映画が作られているが、64年大会ではデザインの亀倉氏がピボットになったことでアート的思考で色々なことが決められたのが特徴だと思う。
そこで、市川崑氏が監督になった。周りのキャメラマンも脂ののった人たちで、非常に芸術的なものができたと言われる。
おそらくできという意味ではいままでのオリンピックの記録映画の中では最高と思われる。
6.ピクトグラム
これが64年東京大会から採用された、ということは全く知らなかった。元々絵文字などが好きな日本人であるから、こういうものを開発させるとうまくいくだろう。
この発想はユニバーサルデザインにもつながるし、たくさんの言語で説明する必要もないので非常にいいセンスだと思う。
ここにもアート的な思考センスが出ているのではないかと思う。
どれも64年東京大会を別の意味で特徴付けるものだったと考えられる。
→☆これが行動成長期を支え、さらに64年東京大会を成功させた一番根本的なポイントだろう。
→☆これが失われた30年の根源の理由ではないか?
→☆これにより全国画一化が始まったと考えることもできる。そしてこれを世界レベルに引き延ばすとグローバル化と言うことになるのだろう。
世の中の組織にはちょっとした無駄が非常に重要なのかも知れない、と思う。
その考えにどのような印象を持ったか?
いままでの論調にあるような真正面から64年東京大会に光を与えるのではなく、少し斜めから光を当てることによって全体像を浮かび上がらせていると思う。
非常に良い視点だし、取り上げ方もうまいと思う。
この著作を書き上げるのに野地氏は15年程度かかったと言うが、さもありなんと思われる。
印象に残ったフレーズやセンテンスは何か?
類書との違いはどこか
64年東京大会を選手や組織に光を当てるのではなく、支える組織に光を当てた点。
批判精神だけではなく、建設的なそして中立的な立場で64年大会を評価している点
まとめ
やはり野地氏の文章は非常に良いと思った。
さらに、64年東京大会について立体的な理解ができたのではないかと思う。
次回は野地氏の2020東京大会について書評をアップしようと思っています。