ハラスメントは人それぞれ違う。

ハラスメントの定義は、相手の意に反する行為によって不快な感情を抱かせることとなっているが、何を不快と感じるか、どの程度不快と感じるかは人それぞれ

行為をする人にとっては嫌がらせをしようとしていなくても、その行為を受けた人が「これは嫌がらせだ」と思えばハラスメントになる。

となると、負の連鎖は永遠と続くことになる。

行為者にとって相手を嫌がらせしようと思ってなくても、相手が嫌がらせだと感じて訴えられる。訴えられることが行為者にとっては嫌がらせである。ここから、ハラスメント・ハラスメント(略してハラハラ)が起こる。

この負の連鎖を断ち切るためには、1人ひとりの考え方、価値観、性格、環境などがさまざまであることを忘れてはならない。

そもそも人それぞれ違うことを頭に入れておけば、ハラスメント自体気にすることではないことだと考える。が、人それぞれ違っても自分勝手な行動が必ずしも許されるわけではない。

1人ひとり、良いところがあれば悪いところもある。短所にばかり注目するのではなく、長所も短所に注目した数だけ注目するといいのではないかと思う。ある人とある人が似ているからと言って、同じ性格や考え方などであるわけじゃない。

何に対して、どの程度の不快感を感じるかは、同じじゃない。不快を感じるものや程度が自分と誰かで似ているかもしれないが、同じじゃない。同じ言葉を使っているから、同じ考え方だというのは間違いである。言葉はツール(道具)である。言葉がなければ、自分の意見を主張することも、相手の意見を聞き入れることもできない。

定義が存在しているからといって、その定義に対して同じ感じ方であるとは限らない。定義とは、あくまでもその言葉の使い方を教えているだけに過ぎないのだ

1人ひとり違うからこそ、1人ひとりに共感していくこと(共感と同情は違う)が大切だと考える。


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