広島の被爆便所を訪ねて (2)
これは「広島の被爆便所を訪ねて (1)」の続編です。先に(1)を読んでからお読みください。
第2日(2024/7/14)
この日は、福山から出発である。
ホテルで昼食後、新幹線で広島へ向かう。天気は、傘は要らない程度の小雨。このとき、動物との衝突で在来線は運転を見合わせていたが、新幹線は通常通りに走っていた。
広島に着くと天気が悪くなっていたが、ひとまず被爆便所の最寄り駅である土橋へ広電で向かうことに。
広電の経路変更によりこの猿猴橋町電停は廃止になるので、おそらく今回がこの区間の乗り納めになる。
被爆便所へ
土橋から東向きに歩いて少しの場所。被爆便所(本川公衆便所)は、川沿いの道路の横にある。
見た目はそこまで古そうには見えない。おそらくタイルなどは貼り替えられていて、被爆当時の姿はとどめていないのだろうと思われる。
このように銘板があり被爆建物であることが示されている。
このトイレは観光ガイドにも載っておらず、GoogleMapにさえ載っていない。
被爆直後に米軍が撮影した映像に映っていた建物がこのトイレなのではないかと特定されて、2015年に被爆建物に認定されたらしい。ならば、認定される前は誰も重要な建物だと思っていなかったわけであり、今こうして残っているのが奇跡に思える。
誰も保存しようと考えず消えていった被爆建物は広島に数知れないほどたくさんあるだろう。その中で奇跡的に取り壊されず現在に残った建物の1つ、ということになる。
内部はこんな感じ。
広島のメインの観光ルートから外れた位置にあり、かつ朝早いこともあって周囲には誰もいない。しかし「新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため」という張り紙があるなど、このトイレがトイレとして現役であることがよくわかる。想像地図の人もここで用を足すという「本来の使用方法」をしてから、原爆ドームへ向かうことにする。
資料館と原爆ドームへ
ここから資料館へは橋を渡ってすぐである。
資料館に来るのは小学校の修学旅行以来。その間にリニューアルがあったりするなどして、展示内容はかなり変わっている。なお、小学校の修学旅行よりも前に広島に来たことがあり、そのときにも訪れている。
その後は原爆ドームへ。
そしてもう一つ、今回の目的地としていたのは、原爆ドームの近くにある「島病院 (現・島内科医院)」である。
一般的には原爆ドームが爆心地だと認識されていて、想像地図の人も小学生の時にそう習った記憶があるが、「真の爆心地」は原爆ドームの東側100mほどの場所の地点にある「島病院」である。被爆当時も今も病院がある。
こちらはGoogleMapに載っており、また資料館にもその記述があるので、被爆便所と異なり訪れる人がそれなりに多いようだ。
ここの横に「おりづるタワー」というビルができていた。小学生の頃にはなかった建物で、ここからは原爆ドームと(写真では分かりにくいが)被爆便所を臨むことができる。
国道趣味者としては原爆ドームの近くにある広島市道路元標も押さえておきたい。
昼食後は旧日本銀行広島支店にも行ってみた。
△□○
さすがに本格的に天気が悪くなってきたが、この日はもう一つ、以前から気になっていた場所に向かう。
平和公園からは離れるが、それは「△□○」である。
決してふざけて書いているのではない。以前から地図を見て気になっていたのだが、「△□○」という名前の会社が広島市内にある。
本通からアストラムラインに乗って約30分。伴中央駅から徒歩ですぐの場所。
ちなみに「△□○」は「ミヨマル」と読む。
製作途中のゲームの中に迷い込んだかのように錯覚するが、ビルの窓の形も△と□と○で徹底している。また、営業者のナンバーがすべて「340」を含む数字になっているなど徹底っぷりがすごい。
その後は、広域公園前まで乗って折返してアストラムラインを完乗した。
次に大町から可部線であき亀山へ。
最後にここから広島駅へ向かって乗車し、広島県内のJR線完乗を達成した。そして新幹線で帰宅して今回の旅は終了である。