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サイコパスな夜

単刀直入に言うと、私はサイコパスらしい

私の考え方は周りと比べてかなりおかしいと気づいたのはいつのことだろうか

恐らく最初に思ったのは大学の時、何やら少しネジが外れているのではないかと感じたこともあったが、学生時分でもあれば、アタマのおかしい友達など山ほどいようってもんで、正直気にもしていなかった。

そもそもサイコパスなんて、猟奇的殺人とか、人を苦しめても平気な人とかどちらか言えば人外の考え方をしているものだと思っていた。
だからまさか自分がサイコパスだなんて考えることもしなかった。

が、心のどこかで自分が怖くなったのは、家族に対して異常なまでの心の距離があるということからだった。完全に他人なのだ。表面的に繕うことはできるが、どうしても大切なものに感じることができない、世間で言う「普通の考え方」ができない自分と向き合った瞬間、自分はネジを大量に落としてきた人間なんだと考えこんだ。正直自分の考えていることはあまりにも恐ろしくてここに書くことさえ、はばかろうというものである。

きっかけは知り合いが自分の性格を分析してもらった際、サイコパスではないが、普通と違う考え方をしている人らしいという話を聞いたことである。
あれあれ、私の抱える、非人間的な感情も、もしかしてそういう分類があるんじゃないの?と思ってしれっとググると・・・・・

 サイコパスの特性
 社会不適合者のサイコパスの注意事項
 これに当てはまる人はサイコパスかもしれない

いや、ワイ、サイコパスやん!!!!
ちなみに、社会生活も普通に営めている私のような人はファンクショナルサイコパスというらしい。とはいえサイコパスはサイコパスである

さ~す~が~に、これは公言する気にはなれない。
ちょっとヘコんだ、が、どこか納得感もある。
修羅場が好きだ、クレーム処理などは相手がどなればどなるほど楽しくなってしまう。ただのドMでは説明がつかないとは思っていたが、そういうことだったか。
それならば自分ハラスメントをしていた自分にも納得がいこうというものである。(自分ハラスメント・・・体と頭を別物に考え、動いてない体は疲れていないと決めつけ、無理やり体を酷使する行動)
しかし、喜ばしいことは、YAHOO掲示板の向こうには私と同じ考え方をしている人間がたくさんいるということだ。共感の喜び!!

私の周囲から少しづつ人が離れていくことにも、どこか納得感を得たわけだが、果たしてこれを知ったことがプラスとなるのか、マイナスとなるのか、出ない答えと向き合いながら飲むワイルドターキーは、いつ誰が飲んでも変わらない美味しさであることだけは唯一の真実であろうと思いにふける。
サイコパスであっても、せめてこのバーボンのように美しく熟成したいと思う、サイコパスの夜・・・・

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