劇団四季 卵が先か?
舞台上で躍動する人々。
20人近くの演者が、踊りまくり、歌まくる。
CAT‘Sだけに、皆ネコなのだ。一人お気に入りを見つけて、その方をとにかく追っていく。余計なふさふさがついていない、一人シャム猫?のような方だ。例えるなら、トムとジェリーに出てくる、スラリとした美人猫。トムが目をハートにして夢中になるスラリとしたやつだ。
これだけの人数が全身タイツでも、なんの違和感もない。ネコと思い込んで見ているからか、躍動感と迫力に圧倒されるからなのか。
何故なら、みな身体に余分なものがないからだ。余計な情報がないら、雑念を起こさせない。鍛え上げられた身体。キレイに伸びる手足。統率の取れた動き。鍛えたというよりか、動いて動いて動きまくって手に入れたしなやかな四肢。という感じか。
これが少しでも気になると、そこへどうしても注目してしまうだろう。私があそこへ放り込まれると、異分子でしかない。と想像する。
そして思う。
天は二物を与えるものよ。と。
この方達は、踊れるが先か?歌えるが先だったのか?
自分の能力には、いつ気がついたのだろう。
観劇終わりに知人に聞いてみるも、興奮冷めやらぬためか、どっちつかずの返事。そして、週が明け、会社の上司に問うてみる。
「やっぱり、踊れる方が先じゃないですか? だって、動けることはそもそも備わっていないと無理でしょう。歌は鍛えることができるけど。」
跳んだり、跳ねたりしまくっていた奴が、歌えることにも気がついた。バレエ出身なのかな?ダンス出身かな?と話は続いた。
これでこの疑問は一旦終了した。しかし、そこでは触れていない根本的なことがあった。私が後先で問うたから、そこには上がらなかった大前提。
それは、両方兼ね備えている自覚があること。
そんなことは、容易にわかるはず…先でも後でもない。両方だ。歌って踊ることが大好きな子供は大勢いるはず。
・人前で披露したいという思いが溢れるかどうか。
・そこからミュージカルへチャレンジするというの発想があるかないか。
アイドルを目指すものもいるだろう。TVでみることができるアイドルとは違い、ミュージカルという発想が出てくるのは、環境の影響が大きいと思う。知らなければ浮かぶことはない。選択肢がそもそもなく、=アイドルというパターンもありそう。
身近にそれを楽しむ人がいるか。それを与えようとしてくれる人がいるか。物理的距離。
美術館、音楽ホール、劇場に行くことはTVのような垂れ流しているものとは違い、能動的なものだ。自ら訪れないと触れることのできない芸術。機会提供してもらって初めてスタートする芸術。
まずは能力。そして環境からの発想。これが答えか。