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子離れできていない

東京から大学生の息子が帰省した。現在一年生。
GW、夏休み、学園祭、そして今回の帰省。思いのほか顔を合わせる機会があったので、特に懐かしさはない。学園祭を見てみたいと伝えた時は、なんでこんなに離れているのに、ハイペースで親と会うんだよ。聞いたことないわ。とブツブツ言っていた。

彼が家を出てからは、夫婦二人暮らし。
徐々に二人のペースもでき、驚くほど穏やかに過ごしていた。送迎がなくなり、予定を合わせる人が一人減ったことで自由度が増す。しかも、一緒にご飯を食べ、おしゃべりをする相手はいる。いい感じだ。
一人欠けただけで、格段に洗濯物の量は減り、ゴミ袋も小さいサイズに変わった。家事負担も軽減されていることがわかる。
ハッキリ言えば快適なのである。そして何より、私の小言がなくなったことを、旦那さんが驚いていた。

そんな変貌した私を、アイツはなんかイラつかせるのである。
帰省してから、3日目辺りからこのような状態に。
なんだか発言がチャラく、いちいちアホっぽいことを言うのである。

大きく言うと、可愛い存在。だけど、小さいところで、可愛くない。

きっと、きちんと勉強している確証が欲しいのだろう。
かかる金額に見合う、充実した感と、私が望むような報告が欲しいのだ。
完全なる押し付けだよな。と思いつつ、これが正直な感情だ。
こんなことなら、地方国立縛りをすればよかったとさえ思ったのである。当時は、とにかく遠くへ行くように促していたのに。上京することがよいと判断していたのに。
うーん。これは、ひとえに私側の問題である。マズイ。

そして、考えは飛躍する。
大学卒業後、芸人になりたい、俳優になりたいと言われる場合もある。どうなるかはわからないよな。と。しばし冷静になる。
理想の押し付け、コントロールしようとしていることに未熟さを感じる。

今は、直ぐに繋がれる時代。私のようなものには、繋がれないくらいの方がちょうどいい。あえて物理的距離をとったのは、この自覚があったことも含まれる。見えないものは、見なくていい。

食後、皆でコーヒーを飲みながら、私のイラつきについて話す。子離れができていないようだと報告し、当人から“ だよね “  とのお言葉をいただく。
旦那さんは、友達と楽しく過ごしているだけで十分なようだ。そもそも期待などは存在していない。達観している。

“ 信頼と期待 “は、無関係の人間には発生しない感情だ。しかし、子供は別人格。
スポンサーであったとしても、無関係を装わなければならない。なぜなら、そうしないと重いから。含みを感じさせるのもよくないのだ。軸がどんどんずれていってしまう。

“ 関係はあるが、無関係 “

やはり、これが大学生に対する正しいスタンスだろう。

結局、腹落ちしたのは、子供が“ 芸人 “になったつもりで過ごすこと。
これが、もやもやせず、期待もぜず、ああそう。と他人事のように振る舞える、私にピッタリの方法だ。学業も芸の肥やしになればいいわと。
そうすると、気持ちよく袂を分つことができる感じがする。頭に浮かぶのは、高速道路のジャンクション、さけるチーズってとこか。

子離れできていないことを、まざまざと見せつけられた正月
自分のことを知れた正月
自分に集中すると誓った正月
子供を仮想芸人に仕立てた正月

このイライラも4年後にプラマイゼロになっていたらいいな。と思う。
いや、もうそういうはやめだ。不毛な感情で既にお腹がいっぱい。

とりあえず自分に集中すること!筋肉つけるわよ。

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