土日は勉強か仕事すべきか休むべきか
新卒時の土日
新卒で某ベンチャー企業に入ってから
毎週の土日は仕事か勉強に時間を費やしてきた。
その甲斐があって、日々の蓄積のおかけで、シンクタンクや外資系コンサル、監査法人等に転職できたと思ってる
土日の過ごし方の転換期
ただ、国家公務員の経験者採用枠に合格し、公務員になってから、そのような土日の過ごし方を止めてしまった。
国家公務員を辞めて、次に外資系企業に転職しても、なかなか土日に仕事&勉強をやるという習慣は元に戻らなかった
今も戻らない。
細切れ時間の勉強なら、少しはやるけど、昔のようにガッツリ国会図書館に行って籠もったり、レンタルオフィスを借りてやることはなくなった。
疲れるスキルアップ教
どうしてか、、
一言で言うと疲れたんだと思う。
私は熱烈なキャリアアップ教、スキルアップ教の信者だったと思う。洗脳が解けたんだと思う。
それと知識をつけることが面白く感じなくなってきたこともある。
国際資格や国家資格の団体が主催する勉強会や業界団体の有志が主催する勉強会…
昔は参加するだけで、いろんな人と知り合いになり、知識も蓄積できて面白く感じた
今は何故か感じない。
かと言って、土日に家族サービスだけをしても、何かの焦燥感に襲われる。
スキルアップ教よりも強いもの
私の家族だけでなく嫁の家族も含めた、身内の死、大手術、ガン、病気…etcは、人が生きてる間に逃げることは出来ないライフイベントだ。
死に係るライフイベントには、知的好奇心や上昇志向なんてものはあっさりと負けてしまう。そんなものはボロボロに崩されてしまう。
仕事とライフイベントは
離れた存在でも
区別するものでもない
本来的には、生きるために行う仕事は生死に係るライフイベントと密接に関係している。
にも関わらず、生死に係ること、特に死の方はとことん隠蔽されている。
戦時中とは違い、現代は、道端に死体が転がってるわけではない。
でも、日本でも毎日3000人が亡くなり、140万人が入院する。年に換算すると毎年約110万人が亡くなる。
ちなみに、神戸市の人口は約150万人だ。一都市に匹敵する数の人が亡くなっている
日本の1日 - 厚生労働省より
「生きてること」が
当たり前じゃないを
前提に生きる
普通に生きてることは、実は当たり前じゃないのに、仕事してると忙殺され「生きてる」を前提にし過ぎて忘れガチになる。呼吸して生きてることさえも忘れガチになる。健康の重要さも、家族の重要さも忘れガチである。
身内がいつまで元気か、自分もいつまで元気かわからない。一方で、時間は過ぎ去ってしまう。
その時間を仕事と勉強に費やすのなら、その時間を他の生きるための費やし方と比較して、本当に有意義かどうか、
たまには立ち止まるのもいいと思う。
土日に勉強・仕事をするなら小手先ではない、生死と人生を意識して、魂と本能からこみ上げてくるものをやろう。
それが身内のライフイベントに係ることであれば、それが正に魂の仕事だ。
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