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「楽譜通りに弾く」がひとり歩きをはじめて随分経ってるので、さすがにご帰宅を願いたい件

ピアノ教室に通っていた、または通っている人であれば、必ずと言っていいほど、先生から楽譜通りに弾きなさいと指導されているのではないでしょうか。
しかし、この楽譜通りという言葉がくせもので、ひとり歩きしていると感じます。楽譜通りに弾くという地点で思考が止まってしまうと、クラシック音楽は楽譜通りに弾く音楽なのだと誤解が生まれます。由々しき事態です。
このテーマ自体使い古されているとは思いますが、私なりの意見をつらつらと書いていこうかなと思います。

「まずは楽譜通り」に弾く

聞いたことあってもなくてもどちらでもいいですが、とある楽譜を譜面台に置き、さあ弾いてみよう!
調を確認し、テンポ表示を確認し、楽譜全体を見て「ふぅむこんな感じの曲かな?」とイメージします。練習方法は人それぞれですが、ひとまず片手ずつ譜面をさらい、両手でよちよちと弾いてみます。楽譜に書いてある表現記号や強弱記号を音に乗せてみます。
おぉ、なんかいい感じに弾けてきたぞ!!

そんなわけで、楽譜通りに弾くことができました。

そう、この楽譜通りに弾くことができた地点で止まっている人がなんと多いことか!!それだけではその曲を弾けたことにはならないと私は考えます。
その一歩先に踏み込むことが重要です。

楽譜に書いてあること ≒ 正解

歴史に名を残してきた大作曲家たちが記した楽譜は、何百年にも渡って無数に校訂者や無数の出版社の手によって修正と改訂を繰り返しながら出版されてきました。
同じ曲であるはずなのに、出版社によって表現記号の種類が違っていたり、ペダル記号が付加・追加されていたり、いい感じに音高が変更されていたりすることもあります。解釈版(校訂版とも言う)では、出版社によってこの差が非常に激しいですね。
特にチェルニー版のバッハの楽譜や井口版の楽譜は、上記に関して良い意味で非常にアクロバティック(?)であるため、この2つの版は使ってはならん!と指導する先生もいます。

ということは、作曲家の意図に忠実な原典版の通りに弾けばいいのか!
いや、そんな単純じゃない、、、それで解決すればどんなに楽だろう…
よく、原典版は作曲家の自筆譜に忠実という言葉を聞きます。しかし、自筆譜を寸分の狂いなく清書したという意味ではなく、「可能な限り忠実」であるというだけです。歴史資料や過去に出版されてきた膨大な数の楽譜から気の遠くなるような研究を経たうえで、作曲家が書いた楽譜に「可能な限り忠実な譜面」に仕立てているのです。
原典版を制作する出版社が研究を重ね、それぞれで「可能な限り忠実」を目指しているため、原典版であっても出版社によって差異が見られるのです。原典版と言われる楽譜が何種類もあるのはそのためです。

校訂版も原典版もそういう状況であるため、どこかひとつの出版社の楽譜を使ってその通りにそのまんま弾ける(再現できる)だけでは、その曲を弾けることにはならないと私は考えています。

行間を読む?

小説では、読者が行間を読むことによって作品が完成するみたいな表現をされることがあると思います。多くを語らない作品の世界観、それによってたくさんの優れたジャンルが生まれたと言っても過言ではないのでは。

音楽でも、行間を読むことが求められます。
もっと言うと、作曲家たちは書かなくてもわかることはわざわざ譜面に書かない。だから、再現者である私たちが頑張る、ということ草
どの時代の曲を演奏するかによって考えることは異なってきますが、たとえば以下のようなことが、行間を読むことにつながると思います。

・cresc. って書いてないけど、曲の雰囲気的にcresc. したほうがいいかな?
・譜面には書いてないけど、一瞬だけ rit. したほうがいいかもなぁ
・リピート記号で折り返してからの2回目はそんまんま演奏するんじゃなくて、装飾音符を加えたほうがメリハリが出るかも
・フーガの主題、いちいち目立たせてたらクドいなぁ、、、
etc.

再現者である私たちは、目の前にある楽譜がどの出版社であれ、
・作曲家はどのように演奏してもらいたいと願っているのか
・私たちはどのように演奏すべきか

を自問自答する必要があります。

とはいえ、楽譜通りに弾くことは重要なのだ

そうなのです、楽譜通りに弾くということは間違いでもなんでもないのです。むしろ、練習し始めたその曲の性格(雰囲気や曲構成)を知るうえで、とても大切なことだと思います。
通っている教室の先生に「楽譜通りに弾きなさい」と指導されているとしても、まずは楽譜通りに正しく弾くことが第一歩と言っているだけであって、楽譜通りに弾くことがゴールだと言っているわけではないはずです。もし「楽譜通りに弾きなさい沼」から抜け出せない場合、楽譜通りにすら弾けていないという可能性が高いです。
おそらく、その沼が日本全国あちこちに出現した結果が、クラシック音楽は楽譜通りに弾く音楽なのだなのではないかと。

まとめ

つらつらと私見を述べてきましたが、
結論としては、楽譜通りに正しく弾くことはゴールではなく、はじめの一歩であるということです。
とはいえ、楽譜通りに弾くことすら難しい曲も多々あります(12度の和音・長大な連符の嵐・作曲家が指定した無茶な指使いなど)。その場合は、往年の演奏家たちはどのように困難を打破してきたかを研究する必要があります。
そのうえで、真摯に地道に根気よく曲に向き合うことが大切だと思います。

久しぶりの記事投稿となりました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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