謙虚である、ということ
今回は、巷ですでに語り尽くされているであろうテーマを自分なりに取り上げてみます。
「謙虚」という言葉があります。
なんとなく意味はわかるけど、いざ説明しようとするとなぜかうまく出来ない方がいらっしゃると思います。私もそのひとりです。
「謙虚」、辞書的な意味は?
辞書で引くと、
謙虚
自分の能力や置かれている立場をありのままに受け入れ、相手の意見を認めてすなおに取り入れたり相手を抑えるような自己主張を控えたりする様子だ。
(新明解国語辞典第七版より)
「自分の能力や置かれている立場をありのままに受け入れ」、これがまず重要であるようです。しかし、自らの得手不得手や、日々過ごしている環境の中での自らの立ち位置をありのままに受け入れるというのは、今まで生きてきた環境やその時々の精神的または身体的な状態によって難しい場合もあるでしょう。私はカウンセラーでもなければ精神科医でもないので、深くは掘り下げられませんが、私はそう思います。
謙虚と卑下
私のまわりでは、よく以下のようなやりとりを見かけます。
「〇〇さん!すごく良かったよ!」
「あ、いえ…、そんなことないです。なんかいろいろミスっちゃって(笑)
わたしほんとに大丈夫でしたかね…(ちょっと笑)」
なんだこのやりとりは!、と思いませんか?私は思います。
実は、少し前までの私もこんな感じでした。
「〇〇さん!すごく良かったよ!」
このように、まず相手が褒めてくれています。お世辞なのか本心なのかはさておき、お褒めの言葉をいただけるというのは非常にありがたいことです。
しかしそんな相手に対して、以下のように答えているのです。
「あ、いえ…、そんなことないです。なんかいろいろミスっちゃって(笑)
わたしほんとに大丈夫でしたかね…(ちょっと笑)」
まずお礼の言葉がひとつも見当たりません。褒めた立場からすると、自分の能力を誇らないなんて謙虚な方だなと思う一方で、褒めても素直に喜んでくれない方なのかなと思われる可能性は十分にあります。
前述の語釈のうち、相手の意見を認めてすなおに取り入れたりという点がすっぽり抜けてしまっています。
この状態がいきすぎると、謙(へりくだ)るを通り越して自分を卑下することになりかねません。「卑下」とは、人より卑しい(下品で欲望むき出しなのが見える)とか劣っていると思うことを言います。相手の褒めを勘違いの謙虚さで跳ね返してると、いつのまにか卑下にすり替わってしまう場合があります。
素直になる
謙虚の第一歩は、褒めに対して「ありがとう」を言ってみることから始まると思います。今まで勘違いの謙虚さで突き通してきた場合、多少ハードルが高いのでは。ですが、「ありがとう」という言葉は、相手も自分も気持ちいいものです。
助けてもらったら、「ありがとう」
褒めてもらったら、「ありがとう」
物をいただいたら、「ありがとう」
そんな生き方が出来たら、今よりちょっとだけ充実した日々が送れるのでは?
そんなあなたにおすすめの本は、川端康成の『有難う』。
1930年代に映画にもなった、とても素敵な作品です。
「ありがとう」という言葉で悩んだら、ぜひ読んでみて下さい。
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