※この物語はフィクションです。実際の人物・団体・事件とは一切関係ありません。また、一部センシティブな表現を含む場合がございますのでご注意ください。 一 そういえば喪中だった、と思い出したのは年の瀬になってからだった。離れて暮らす母親から、年末に法事があるから帰ってくるように、というメッセージが来なければ、恐らく今年も帰省などせずにこちらで過ごしていたに違いない。留年が決まったこともあって、実家に帰るのが何となく億劫に思えていたのもあるし、そもそも帰ってもやることがない。大
Celesteというゲームのサウンドトラックを買った。ダウンロード販売がなされているお陰で、海の外で作られた音楽でも、600円でまとめて購入できる。素晴らしい時代だと思う。 この1年、色んなことがあった。世間でもそう、僕の身の回りでもそう。私事で言えば、住む環境が変わった。数年慣れ親しんだとある町を離れ、生家のある地元に戻ってきた。仕事に慣れるのにも時間がかかった。というより、今でも分からないことだらけである。仕事は当たって砕けて慣れろ、というスタンスの上司はハイスペッ
ほんのちょっとした偶然から、大きなうねりが生まれ、思いもよらぬ結末に到達することはもしかしたら珍しいことでは無いのかもしれない。 もしかしたらそんな数奇なノンフィクションについて、ここに近いうち記載する可能性がある
人生において最も忙しい時期が過ぎた。完全に私事ではあるが、昨年度末からとっ散らかっていた課題が解決の兆しを見始めたのだ。かと思えばそれ以上に大きな問題がこの国の空を覆っているわけなのだが、むしろこういう時期だからこそ、思索に充てられる時間を増やせるのかもしれない。 逆に、それくらいのことしか心を落ち着ける方法が無いとも言えるが。 滞っていたnoteの更新も少しずつ再開していこうかと思っている。 最近、ゲーム作品の「Robotics;Notes」(ロボノ)と「Chao
約2週間ぶりにnoteを書く。単に書きたいことがこの期間中なかったというだけなのだが、書かない日が続くと書く癖が抜けきってしまって非常に宜しくないものだ。 とはいえ、この間に大した出来事があったわけでも無い。強いていうなら昨日、『ハリー・ポッター』シリーズの映画を見たということぐらいか。唐突に思い立って『賢者の石』と『秘密の部屋』の2作を、ほぼ連続上映という形で見続けていたのだった。 同年代や少し上の友人たちと共に鑑賞していたのだが、やはりこの作品の世間への浸透度は圧倒的
Smith Alanと申します。以下常体。 趣味はゲームとお喋り(?)の、どこにでもいる青年。将来は多分楽して生きていけないだろう道へ進む予定だ。最近はnoteへ文章投稿することを日課に生活している。以下、ちょっとずつ詳しい話を。 まず、noteに雑感や小説を投稿していることについて。 初めに気まぐれで投稿したちょっと重たい話をきっかけに、折角だから日課にしてみようかと思って続けている。大学時代の友人たちには、小説に限らず多くの創作者がいて、ノウハウや価値観を学ばせてもら
マンションのドアを開けて、外の空気を吸う。 よく晴れた冬の日。肺にいっぱい取り入れた酸素は、そのまま体を凍らせてしまうかのようにゆっくりと僕の中を駆け巡る。一枚羽織っただけのコートは風を防いでくれるが、脆い体内まではどうしようもない。朝方に出かけることもあまりないのが、この億劫さに拍車を掛けているのだろう。 駐輪場に停めてあったもう7年使いこんだ自転車に跨り、目的地を目指す。何度もパンクや車輪の劣化があったが、それでも物持ちの悪い僕がここまで乗り続けられたのは奇跡としか言えな
一昨日投稿した記事を読み返していると、文の接続や語彙がおかしな部分が沢山見つかり、思わず恥じ入ってしまった。 校正や推敲の大事さを痛感した次第である。まず日付が変わるギリギリとかいう眠たい時間に書くのを止めることからだろうが……。 話は変わるが。 向山洋一という教育者をご存じだろうか。『跳び箱は誰でも跳ばせられる』という本が有名で、恐らく知っている人も多いのだと思う。 最近思うところがあって、彼が監修した『子どもがじっと耳を傾ける魔法のおはなし』という本を読んだ。僕が子供の
何故か飲み会が始まってしまった。 こういう意味の分からないタイミングで始まるのが、僕らの住処の特徴だ。
友人に勧められて仮面ライダーを見るようになった。といっても、現在放送中の「仮面ライダーゼロワン」はそこそこに、前作の「仮面ライダージオウ」の方を熱心に見ている最中だったりする。 「ゼロワン」の方は、10週くらい朝寝坊と忙しさのせいにして見ていないのだが、何だか勿体ない気もしているので、TTFC(東映特撮ファンクラブ。仮面ライダーシリーズの過去作を見返すことができる有料サービス)の力を借りて取り戻そうと思っているところだ。 話は変わるが、キャラ造型に困ったら仮面ライダーを見ろ
10代の頃に聴いた音楽は、その後の音楽的な嗜好に影響を与えるそうだ。 科学的な正誤、統計的な真偽はともかく、ごく個人的には半分当たりで、半分間違いかな、と思う。 10代の頃僕がよく聴いていた音楽といえば、大半がアニメソングだ。とある軽音楽を題材にしたアニメから「沼」への一歩を踏み入れ、青春の半分くらいはそれに溶けたような気もする。 流行りのアニメの主題歌のうち、気に入ったものを買っては勉強中や登校時間の間に聴く、そういう生活を送っていた。逆に、周囲で流行りの曲というのはあま
人生で本当に知ってなければいけないことって、一体幾つあるのだろうか。 人と話していても、「これくらい知ってて当然だよ」みたいなことを言われる回数は、年々増えている気がする。僕自身、知らないことを知ることには非常に興味はあるが、なんだろう、そういう言い方をされると、それは本当に知っていて然るべきことなのだろうか、と思う。 「○○をするなら◆◆は知っていて当然だ」みたいなのも、何というか快くはない。「◆◆は知っておくと良いんじゃないか」なら、分かるのだが。 何かを始めたばかり
住居にキャプチャーボードを導入した。これで古いゲームの画面が録画できるようになる。 別に配信をするわけでは無い。自分のプレイを客観視点で見返すのには、こうしたツールは悪くないと思ったのだ。ちょっとばかりはゲームが上手くなるよう努力してみることにする。
昨日はこんな記事を書いた。 後輩に、これまでの人生で敵わないなぁと思った人のことを聞いて、技術的に自分の先を行き続ける同級生を挙げてくれたのだった。 後輩の彼は自らの性格を「負けず嫌い」と評していた。 普段温厚であまりがつがつした奴ではないから意外だったが、確かに言われてみれば楽器についての向上心ははた目にも人一倍あるように見える。熱意が足りないとは言っていたが、僕にはどうも、教えを請いに行く時点でかなり情熱的だと思えるのだが、本人には言わないでおくことにしよう。 僕
誰しも生きていれば、きっと、この人には敵わないなぁと思うような人が出てくるのでは無いだろうか。 どういった意味合いかは人によって違うだろうが。 例えばそれは、技能的に自分に出来ないことが出来る人への憧れや劣等感かもしれない。或いは、人間的に優れた人への羨望や妬みかも分からない。 でも、きっと自分の内側にないものを持つ人に対してしか、そういう気持ちは抱けないんだろう。 昨日、大学の後輩(仮にA君としよう)とそういう話になった。久しぶりにゆっくりとお茶をし、世間話の流れでごく自
夢を追う同級生達のことを思い出しては懐かしむ夜。 後輩と身の上についてゆっくり話す時間があったので、それをうけてまた自分を見つめ直した。「敵わないなぁと思う人」というテーマで、明日辺りでも少しまとめたい。