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喫茶フィロスのよもやま #0

プロローグ

「喫茶フィロス」は奇妙な喫茶店である。どこが、と聞かれたら、全てが、と答えるしかないほどに。立地からして変だ。閑静な住宅街に佇む、そこまで背が高くないマンションの1階部分の、建物に向かって左側の扉がその喫茶店なのだ。扉というのが老舗の町中華のそれのような擦りガラスの引き戸で、営業中は下手くそな文字で「きっさ フィロス」と書かれたのれんが掛かる。他に看板めいたものは何もなく、壁の塗装がお洒落だとか、看板以外の装飾がしてあるとかでも別にないから、雰囲気も何もあったものではない。のれんの文字だけを信じ、勇気を出して扉をくぐると、店内がまあ狭い。意外ときれいにされているのが救いだが、L字のカウンターと壁に囲まれた調理スペースがあるばかりで席数は7。少し高めの丸椅子がカウンター沿いに7つ置かれている。前のテナント主が何を血迷ったか、駅前でもオフィス街でもなく人通りもまばらなこの場所に立ち食いそば屋を開業して、案の定すぐに潰れたところへここの店主が入ったらしい。しかもメニューは冊子ではなく油性ペンで品名を書いた紙が乱雑に壁に貼ってあるだけだ。店主曰く、「どうせウチのメニューなんてコロコロ変わるんだから、いちいち冊子なんか作るのはめんどくさい」とのことだ。そう、フィロスのメニューは店長にして唯一の店員である女マスターの気分で変わる。ほぼ毎日何枚か貼り替えるのもそれはそれで手間な気がするが、そこはさして気にならないらしい。まったく風変わりな喫茶店である。


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