栂ミツハ
さて、2では岡田以蔵が何故足軽ではないのか、まずは郷士という人々について長々説明してみました。郷士は身分、足軽も身分。郷士の方がずっと上。郷士は自分の領知経営を行いますが、足軽は藩の役所等で実務を担当。 では何故足軽なんて言葉が出てきたのか…?もう一つ考えられる原因が「御預郷士」というシステムです。 郷士は国土防衛戦力と考えられた事は1で書きました。このため常日頃から、武術の腕を磨いておく事が奨励されました。イザ戦争となった時、剣をふるえず槍もつけないようでは困ります。ち
さて困った山内家は、戦力保持および新田開発で一石二鳥!という、「郷士」というシステムを考えます。自分達が入る前に長宗我部氏の元で働いていた家臣団、彼らはほとんどが帰農していましたが、ここに声をかける事にしたのです。武士身分に戻らないか、そのかわり新田開発を進めてくれ…募集したら結構来るわ来るわ。ちょっと多すぎないか?となった時、こうした改革を行っていた2代藩主が死去、政策の音頭を取っていた野中兼山は失脚します。郷士システムも中ぶらりんになってしまいますが、すごく良く出来たシス
まず、良く言われている…というかwikiにまで書かれて中々修正されない、「足軽」だったという点について。 岡田以蔵は足軽ではありません。これは創作です。 おそらく、創作の設定とするには少々複雑な土佐の身分制度を、ひと言で書くにはどうしたらいいかな~と考えられて、この言葉が選ばれたのでしょうね。 岡田以蔵は郷士。正確には郷士の倅。郷士株を継いでいませんから… この郷士ってのが中々のクセモノで、やれ身分制度がどうの、虐げられていたのとよく書かれていますね。 では土佐での
先日「或る幕末の武士のこと」というタイトルでつらつら書きましたが、今日から史実の岡田以蔵について、調べた事を書き出していこうと思います。 本来ならば引用や註を出すべきだけど、それをやるとブログのようにつらつら書く事がやりにくくなるので…「何に書いてあるの」など、知りたい方がもしもいらっしゃったらコメント下さい。また手っ取り早く知りたい方は、戎祥光出版より刊行されている『正伝岡田以蔵』を読んでみてください。あれが一番良く纏まっててわかりやすいです。
まあ歴女と言って差し支えないであろう私(でも某刀にはあまりハマれていないごめんなさい)は、幕末の事を調べたり、好きになるのはあえて避けてきた。せいぜい新選組が題材の漫画を読むくらい。司馬遼太郎氏の「燃えよ剣」「新選組始末記」は読んだ。しかも函館旅の往路新幹線内で。あれは絶対周囲に誤解されたと思う…違うんです私は五稜郭の桜を見に行っただけ、青函トンネルを通りたかっただけなのです… 話が逸れたが、何故避けていたのかというと、幕末というジャンルはライトな歴史好きには敷居が高い印象
以前から気になっていたこちらのnote。Twitterで書くのは瞬発力があって非常によろしいのだけど、600字超えると辛いなあ…と薄々感じていました。こちらならコラムも旅行記も小説も書きやすそうだなあ…と。ブロク代わりにも使えますよね。そういう場所ではないのかな?色々書き出してみます。とりあえず締切間近の旅する日本語から…
旅に関わる時の私には「大童」という言葉がぴったりだ。 旅のきっかけ、一番大きな感情は「知らないモノに出会いたい」こと。景色、文化、歴史、自然、祭り、美味しいもの、鉄道、その土地の言葉… どんな事でも、一旦火がつけばさあ大変。調べる事に夢中になって、旅当日もワクワクが止まらない。誰かとの旅やひとり旅、どれも楽しい。 年を重ねた近頃は、大童っぷりに磨きがかかり、旅の欲が出るとすぐにひとりで動く事が多くなった。ひとり旅はフットワークが軽くて楽チン、自分のペースで動ける事はとて