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どこもかしこも大変だなという話。

まだ熱中症という概念もなかった時代に、酷暑の中強行された学校行事で体調を崩し、病院に行くために早退をした結果「全員で完走しようと言った学校行事を途中で抜けた根性なし」と、年度が切り替わるまで担任にいびられ続けた記憶がある。半年そのネタでいびり続けるって、よっぽど暇なのか、他に追及できるものがなかったのか。どっちみち、悪趣味でしかない。こっちは病院にかつぎこまれるレベルで体調を崩したのだ。実際、高熱で意識が朦朧としている中でも、先生達がやれ学校に救急車を呼ぶのは世間体が悪いだの、先生の車があるけれど禁止のはずのマイカー通勤がバレるから使えないだの、保身のためのあれやこれやを話しているのは全部聞こえていた。もし我が家で唯一免許を持っている父が偶然休みで家にいなかったらどうするつもりだったんだろう。あまり考えたくないけれども。

同じようなことは、幼稚園の時にもあった。クラスにちょっと我の強い子がいて、この子とうまくやれないとクラス内での人権がなくなるような。その子とそのお取り巻きに「ちょっとあんた」と言われて、理不尽にからまれるのはいつものことだけど、その時ばかりは耐えられず、無意識のうちに逃げようとした瞬間、階段を踏み外して転落してしまったのだ。幸い、怪我は後頭部を一針縫っただけで済んだのだけれど、ことの元凶を作った彼女が「私は悪くない」と泣き叫ぶ声も、手当をしてくれた担任の先生が「もしあんたの血がとまらなかったら私のせいになるのよ」と自分の心配しかしていない声も、私にはきちんと聞こえている。被害者というのは、全部見ているし、全部聞いているのだ。説明できる状況もできない感覚もひっくるめて全部。それに、いじめグループは地味に分業制なので、誰が誰を何でそそのかしたかで初動が変わるのだけれど、最初の一手に真っ先に「そうだよねー」を発動するのはなぜか決まって同じ奴だ。

英語に「none of my business」という表現がある。ざっくり「あっしにはかかわりのないことでござんす」という意味だけれど、被害者にとっての加害者の境遇は、まさにそれだ。ついでに「深い意味はない」も同じぐらい「知らんがな」である。深い意味があろうがなかろうが、子供の指先に無理やり水酸化ナトリウム(水溶液ではなく固体)を「ほーれ」と近づけて「冗談だよ」と笑える教師の言うことが聞けるか。常に「そうだよねー」担当だった人間に、風向きが変わった瞬間「本当はけいこちゃんと仲良くしたかったの」と涙ながらに言われたところで、信用できるか。そして、ここに至るまでの事情を何も知らないくせに、私が謝罪をはねつけたという事実だけを聞いて「けいこちゃんて薄情ね」と言ってくる近所のおばちゃんも、頼むからひっこんでいてくれ。謝罪を受けるか受けないか、許すか許さないかを決めるのは私であって、あなたではない。ついでに言えば、ことが明るみに出るまで何も知らなかったギャラリーが受けた「印象」で決まるものでもない。わかったか。わかってんなら、すっこんでろ。

・・・と、当時言えたらどんなに楽だっただろうなと、二十年以上たった今でも思う。言ったところで聞く相手じゃないとわかっていても。まあその、何が言いたいかというと、球団もクラブもコミッショナーもチェアマンも大変だなって(大きな声は控えてくださいなスタジアムでバカ騒ぎしていた酔っ払いに関するトラブルを球団に報告したら、ものすごく丁寧なお詫びメールが来たもので)

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