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池明観先生の思い出

私の人生で幸運な出来事はたくさんあるけれど、池明観先生のゼミで学べたことは、間違いなく大きな幸運でした。

新年早々悲しいニュースをお届けしなければなりません。1973年から88年まで『#世界』で15年に渡り「韓国からの通信」として韓国軍事政権の民主化運動弾圧の実情を伝え続けた「T・K生」こと池明観さんが1月1日に逝去されました。ご冥福をお祈りします。「岩波書店『世界』編集部」

この記事は、ごく個人的な話で、先生の偉業について私が語れるものではありませんので悪しからず。

東京女子大学短大部教養科は、短大なのにゼミがあったのでした。私は、1986年から1988年の2年間、牟礼の校舎に通いました。

正直に言うと池ゼミは第4志望でした。より実務的な就職にウケのいいゼミを狙っていたのですが、何か惹かれるものがあって哲学も志望の中に入れたのでしょう。哲学はあまり人気がなかったようで、結果的に少人数のクラスになりました。これがどれだけラッキーなことだったことか!

尊敬する人を聞かれたら池先生の名前を出してきたほどで、どうやったら先生のような達観した人になれるのだろうといつも思っていました。ただ、私にとっては哲学、現代思想の穏やかな先生でしかなく、著書を読んだり経歴を知ってるつもりではありましたが、こうしてニュースにまで取り上げられるほどの方だったとは、今、改めて驚いています。

チ・ミョングァンさん死去 韓国軍事政権による弾圧を告発

「韓国からの通信」池明観さん死去 軍政弾圧告発の“T・K生”

元東京女子大教授・池明観さん死去 「T・K生」の筆名で韓国の軍事独裁を告発

東京に出てホームシックで短大にもなじめずにいた時に岡田有希子のニュース、憧れの女子大生になったのに暗いスタートでした。卒業の時、先生が、入学当初この子は大丈夫かと心配してたんだよとおっしゃってくださって、そんな気にかけてくださってたのかと感激したものでした。

私は、子供の頃から悲観主義者だったのだけど、先生の教えで物事の捉え方が変わって、ある時、ストンと生き方が楽になったのでした。授業の内容で今覚えてるのはエーリッヒ・フロムくらいですけど。

卒論も褒めてくださり、4年制に進学しないのはもったいないともおっしゃってくださいました。ゼミの子みんなにも言ってたんですけどね、私は、とにかく勉強が嫌いだと言うことが短大の2年でよくわかったので、先生には社会に出ることでも学びはありますとか言い訳してました。

卒業の時に先生に感謝を述べたら、先生は、自分が教えてきたことは、全て先人の智慧で誰かが語ってきたことなのだと、自分は何も作り出してはいないと言うようなことをおっしゃっていたのが印象的でした。

卒業してからも先生の講演に何度か行きました。ゼミで教わったのとは全く違う歴史の話で、熱く語る先生が不思議に思えました。

韓国に戻られる前に新橋のお気に入りのお店に連れていってもらって飲みました。若い時はほとんど飲めなかったのが、年取って飲めるようになったのだそうです。奥様の話とか、韓国に帰るのは本当は気が重いけど仕方ないというようなことを言っていたのを覚えています。

私がアメリカに旅行すると言ったら、サンノゼのお友達を紹介してくださり、お宅に泊めていただいたこともあります。そのご友人が話す池先生は、ユーモアのある楽しい人でした。

韓国に戻られて、私もタイに住むようになって、年賀状のやりとりもなくなり音信不通になってしまいました。本当に不義理してしまったと思います。時々、ネットをチェックして、ご存命でお元気であるのを確認してホッとしていたものです。先生の著書を買って大事にしつつ、ほとんど読まないままで、毎回、断捨離の度に出てきて、いやいやこれだけは手放すことはないとまた戻すのでした。その度に先生のことを思い出してはいたのですが、日韓の歴史の話は私には重過ぎる気がしたのですが、今度こそきちんと読みます!

もうお会いすることはかなわないと思ってはいましたが、訃報に接し、やはり私の中では大きな存在だったことを改めて実感しました。これからも先生の教えを忘れずに心健やかに穏やかに強く生きていきたいです。

池先生、ありがとうございました。
心からご冥福をお祈りします。

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