2021/01/21
ないなんて思わないけれどもある実感が湧かない。そんな一粒の雪みたいな存在にバランスを崩されてしまう自身の弱さを憂う。
どんな時代が来ようが、好きなことを好きだといい、やりたいことをやることが僕が僕たる所以だと、かろうじて自身のか細い輪郭を保っている。それでも気がつけば欲深く行為への見返りを求めてしまう。あぁなんて業が深い。「対象を愛するのではなく、自分が対象に注いだエネルギーを愛すのだ」と言ったのはふとつけたラジオから聞こえた松任谷由実の声だった。何度も間違えては何度もここに戻ってくる。けれども物事は螺旋状になっていて、戻ってきていても上昇はしている。
そして僕は自身の内側と外側に絶対的な存在を求めて今日も星を見上げては柔軟体操をし、薪割りをしては森を感じて生きている。
なんだかんだ今年もいい年になりそうで、衝動的にそして情熱的に時々怠惰になりながら、暮らしを営んでいこうと思っている。
いただいたパンをかじった時のおいしさは、パンのおいしさなのか、それとも小麦粉がパンになるまでの工程なのか、考えながら食べる。答えが出ようが出なかろうが、考える行為の楽しさと、おいしさは変わらないのだから。