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【自己紹介】八十三億年かかるとしても この道がそこに通じているならば 歩み続けるしかない

はじめに

「自己紹介はした方がいいぞ」と最近youtubeを頑張っている父親に言いながらその言葉は父を貫き、後ろにいる自分に刺さっている。
ということで自己紹介動画を作ってyoutubeにと思っているときっとやらないことは身に染みて分かっているので、とりあえずNoteにまとめておきたい。

まずは経歴から話始めたが、書いていたら結構長くなってしまった。大切なことは後半の本題にあるので、ここから一気に本題まで飛んで読んでもらえるだけでもうれしい。

これまで

大学では天狗の研究を中心とした民俗学の研究をしていた。ちっちゃなころから妖怪が好きで、「天狗の生活」「河童の生活」という絵本がとても好きだった。あと「魔女図鑑」も。高1までは保育士、高2までは農家、高2の終わりに大学進学を決めた僕は、悪名高いAO入試に一縷の望みをかけ、天狗の研究を始めたら最後、高3の1年で天狗の研究が終わるはずもなく、大学の4年をかけても終わらず、今でも人生は天狗とともにある。今住んでいる家も大家さんが数十年前に新婚旅行で買った絵に天狗のルーツ、ガルーダが描かれていたことから住めているといっても過言ではない。

そんなこんなでAO入試を終え、早々に受験から抜け出した僕は、暇を持て余し高3の登校数が少ないことをいいことに2月の登校をすべてキャンセルし、一人卒業旅行ということでインドへ行く。そこでインド人にぼったくられ、インド人に救われ、年上の恋人ができて帰国。その強烈な衝撃が尾を引いて以降大1、大2、大3と4年連続春になるとインドに行く学生生活を送り、気がつけば周りの就職活動に取り残されていた。

そこで就職活動を始めることはなく、やりたいことを考えた結果「幼少期の夢を叶えたい」ということと「海外で暮らす」という二つの選択肢が出てきた。幼少期の夢。それは保育士になるというか、幼児期に通っていた施設の先生になるというもの。ここで施設というカテゴライズなのは保育園でも幼稚園でもないからで、そこまで重要ではないので割愛する。大学の教職カリキュラムすら早々に脱落した僕には資格がなかったので、無資格でどうするかということを考えるしかなかった。ちなみにこの時始めた保育士資格の勉強はまだ終わらず、いまだにだらだらと資格持っていないコンプレックスをこじらせながら、未練がましく枕元に参考書を置いて寝ている。

次に海外で暮らす計画について、海外で暮らすということがどういうことなのか、これまでのインドや中国への旅行と何が違うのか。街やホテルを転々とするのではなく、同じ町で家を借りて生活することが目標だった。行先はほとんど迷うことなく北欧に決めた。父親が昔から仕事で行っていた北欧諸国。暑い国はさんざん行ったので、-40℃を体感してみたかった。写真とは違うんだよと聞かされていたオーロラがどんなものか見たかった。なんだかんだ父親の背中を追いかけたい気持ちが強かったのだと思う。また日本から飛行機を使わないで航路と陸路で繋げるのも魅力的だった。初めは3ヵ月程度だった予定も計画を詰めるごとに期間が延び1年、ワーホリのビザで行くことになった。

ということで大学4年から1年半お金をためてノルウェーに行くことになる。で当時あこがれていた人の助言もあり、ただ働くのではなく、自分の身になる仕事をしようと思い、幼少期に通っていた施設にお願いして期限付きでバイトをさせてもらえることが決まりました。こうして「海外で暮らす」ということと「幼少期の夢を叶えたい」が実現する道が開けたのです。

そして1年半こっぺ先生として働かせてもらい貯めたお金でノルウェーへ旅立ちます。ちなみにこの段階でノルウェー語はおろか、英語もしゃべれません。今もしゃべれませんが。

で今は遠いロシアを経由してノルウェーへ行き、北極で暮らしたのち日本に帰ってきて焦ります。自分の何者でも無さに焦りました。ただ海外に行って帰ってきただけな感じがして焦りました。焦って就職活動をして、こっぺ先生の経験を活かし、児童福祉の世界に入ります。

書いていてとても長い。
長いので一気に飛ばします。
東京で働いていることに限界がきて、東京を逃れて長野に移住し、子ども関係の仕事をしながら独学でものづくりを始めます。草木染め、粘土、刺繍、木工とかいろいろ。とりあえず作りたいものは自分で作ろうという状態になっていきます。そしてアパート暮らしの限界を迎え2年前に今の家の大家さんと出会い、一軒家を貸してもらえることになり、今の家で暮らしながらものづくりをしています。

今の家の庭では粘土を焼ける

そして一軒家への引っ越しとともに児童福祉関係を辞め、とりあえず興味があるものには首を突っ込んで働いていこうというスタイルで新生活をはじめました。そして2年の月日が流れ去り、どこかに正規で雇われているとものづくりがおろそかになること、周りで手伝ってほしいという仕事に参加できないこと、その他いろいろなしがらみが自分にとって大変だ!ということになり来年度からフリーでいろいろとやっていこうじゃないかという算段となったのです。

それぞれの場所でそれぞれな事柄はありましたが、それらはまた追々詳しく書いていけたらと思っています。が、基本的に過去とか未来より”今現在何をして何を考えているかが大切だ”と思っているので“今”を記事にすることの方が多いと思います。

本題

さてさて長々と書いてきて、ここからが本題です。
僕が何をもって活動しているのかとういう話です。
これまで書いてきたように僕は専門的な機関で何かを学んだことがありません。ものづくりのどこをとっても独学で、児童福祉においても現場で実践を通して学んできました。それらはいまだに自身のコンプレックスでもあるのですが、強みだとも思っていて、「こうでなければならない」という概念が基本的には薄く活動が出来ています。

それを踏まえたうえで「ものづくりを日常に」というモットーを掲げているのにはとりあえず始めてみる気軽さがものづくりには必要だと思っているからです。僕自身にも草木染めを始めようと思ったときに当時同棲していた恋人に「めんどくさいよ」と言われ諦め、一人になってとりあえずやってみるとすごく簡単だったという過去があり、当時彼女が何をもってその発言をしたかはわからないけれども、あきらめる理由って簡単につかんでしまうものだなぁと我がことながら思うのです。だからこそ自分が発信する時はいかに手軽か、いかに簡単かを考えていきたい。そして作業工程はできるだけ簡略化できるように研究をしていきたい。それが「ものづくりを日常に」というテーマ、つまりものづくりをいかに日常の中に溶け込ませることができるのかということになってくるのです。

仕事終わり、ご飯の後、休みののんびりとした時間にとりあえず始めてみるものづくり、それが僕の目指すものづくりです。

幸福感というのは生活の豊かさから来ると思っています。日々の生活の中で発生するストレスも、生活の豊かさで日々溶かしていくことができる。そう信じているし、実際そうだと思っています。

ものづくりをすごい人がすごいものをつくることとして、作る人と買う人を分断してしまわないように「これなら作れるか」「これならやってみよう」と思ってもらえることを目指しています。それが果てには自分で作れないものを人に作ってもらう対価を理解することにもつながってくるのだと思います。

そして「僕にできるのだから誰でもできるよ」と結構真剣に思っています。僕は難しいこと、複雑なことがとても苦手です。だから資格の勉強もできません。でもものづくりは簡単なことの積み重ねで遠くまで行くことができます。それは職人が作る伝統工芸とはまた違う、芸術家が作る難解な作品とも違うとも思います。それでも自分にとって特別な大切な作品を作ることはできます。だからこそすべての人の生活にものづくりがあってほしいと思っています。

例えば僕のいつもつけている仮面。こねて、作って焼いて、装飾も縄をみつあみにしたり、草木染の布を取り付けたり、割れた箇所を金継で直してみたり、一つ一つをよく見ると歪んでいたり不揃いだったり、つたない部分は多い、アラを探せばアラだらけのこの仮面も、1日ごとの作業時間はあまり長くないし、難しいこともしていない。あえて言うなら仮面の造形、焼くハードルの高さ。それをクリアしてしまえばだれにでもできる。今はオーブンで焼ける粘土もあるし。そうやって自力でできる小さな積み重ねで自分にしか作れないものを作る、それがとても心に良いと思っている。

だからyoutubeもやっている。WSも開いているし、ゆくゆくは今住んでいる家をものづくりが誰でもできるオープンアトリエとして開きたい。そのために今は小さな一つ一つを積み重ねていくしかなく、たとえそれが83億年かかるのだとしても、たどり着けるのならばこの道を歩んでいくしかないのだと思ってます。

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