誤診≪重度障害児子育て≫
息子が産まれたとき、一瞬「あれ?泣かない?」と心配した。
息子の姉である娘がが産まれたときよりも、泣きだすのが遅く感じたのだ。
ただ、一瞬の心配の後、すぐに元気に泣き出した。
体重を測ってもらうときに見慣れない医師がいた。
「元気ですよ」
後から分かったことだが、その医師は産婦人科医ではなく、小児科医だった。(総合病院で出産のため連携が取れていたものと思われる)
小児科医がその場に呼ばれていたということは、何か心配なことがあったからなのか。特に説明はなかった。
この時の私は元気だと聞いて、ただただほっとしたのだ。
それから、息子と産後の入院を同室で過ごすうちに気になることがあった。
それは、「背伸び」だ。
娘が背伸びをするときは、気持ちよさそうに手を頭より上に伸ばしていた。
しかし、息子は顔を真っ赤にして手は動かさず胸のところにおいたまま反り返るように「背伸び」していたのだ。
ただ、担当看護師や助産師に見てもらったり聞いたりしても
「お母さん、赤ちゃんは赤くなるから赤ちゃんって言うんですよ。」
と言われて流されてしまった。
出産時にいた担当小児科医にも伝えたが、同じような反応でおかしいとは言われなかった。
その後、一人の医師が「心雑音がする」と言って、ある曜日なら大学病院の先生が来るから診てもらわないかと提案してきた。
しかし、これを「そんなことはない」「元気ですよ」と担当小児科医が止めた。
担当小児科医の方が年配で立場が上の先生だったのだろう。
その医師はそれ以上何も言わなかった。
私も「元気ですよ」と言われて安心してしまった。
この時に大学病院の先生につながっていればと本当に残念でならない。
出産後予定通り退院になったが、息子の体重の増加が少なかったため、1週間おきに出産した総合病院の小児科を受診することになった。
その時にも、例の「背伸び」の話をした。診察中にも実際にしたので見てもらえたが、問題ないとされた。
息子はあまり泣かず、手がかからない印象だった。
お腹が空いて泣くものの、おっぱいを飲んでいても眠気に勝てずに寝てしまうこともあったので、寝ずにもっと飲まないとだめだよと声かけしていた。
そして、息子の生後1か月健診の日を迎えた。
この時、担当医もいたが、たまたま診察に当たったのが入院中に「大学病院の先生に診てもらったらどうか」と言ったあの医師だった。
その医師は「お母さん、僕はやっぱり大学病院で診てもらったほうが良いと思うんです。紹介状書くので、今から行ってください。連絡はしておきます。」と言った。
そして、大学病院に着いてすぐにこう言われた。
「どうしてもっと早く連れてこなかったんですか」
この言葉を私はきっと一生忘れない。
「元気ですよ」と笑ってこちらを見ていたあの年配の医師の言葉に安心して1か月過ごしてしまった自分を憎んだ。
誤診だったのだ。
あの「背伸び」はてんかんの強直発作。
真っ赤になっていたのは、そのためにチアノーゼが出ていたのだ。
まずは検査入院となったが、1つ目の検査ですぐにICU管理となってしまった。
検査に行った息子にすぐ会えると思っていたのに、会えたのは数時間後。
そのうえ、その時にはもうすでに息子にはチューブや管がいっぱいついていて、本当についさっきまで抱っこしていた息子なのかと意味が分からず、心がついていかなかった。息子の状態を説明してくれる医師の声が遠くに聞こえた。
もし、あの「背伸び」をもっと疑って、大学病院へ連れて行くのが少しでも早かったら、今の障害の状態がもっと軽かったのではないか。
発作を起こしてしんどいのに、起きてミルクを飲まないとだめだよと私から言われていた息子はどれほど辛かっただろう。
後悔ばかりだ。
あの小児科医さえ担当にならなければ。
あの小児科医が大学病院を勧めてくれた医師を止めなければ。
心が怒りと憎しみに支配されそうになることがある。
誤診をした医師をどれほど恨んでも今の息子の状態が良くなるわけではない。
訴訟を起こしたとしても、同じことだ。
それならば、それに時間を使うよりも息子とより良い時間を過ごし、息子の成長のためになることに時間を費やそうと考えた。
ただ。
ただ。
怒りと憎しみだけは消えずに残り続けている。
あの小児科医師が今も「大丈夫ですよ」「元気ですよ」と言っているのではないかと思うと、勤めている病院まで行って「その医師を信用するな!」と叫びたい気持ちになる。
私たち家族にとっては医師とも呼びたくもないあの人間が今ものうのうと医師を続けていることが腹立たしくてならない。
生後1か月健診があの小児科医に担当されていたら息子はどうなっていたのだろうかと考えると、恐ろしくてならない。
それから、息子を通じてたくさんの医師と出会っている。
それを経て言えるのは、医者もただの人間だということだ。
知識はあるけれど器用ではないかもしれない。
優しいけれども技術はないかもしれない。
お医者様、先生などと、医師というだけで偉いように感じるが間違えるときは間違う。
1人の人間として見た方が良いのだ。
だから自分で判断する。
この医師の言っている通りで大丈夫なのか。
他の医師にも意見を聞くべきではないか。
どの医師を信頼・信用するのか。
もう後悔しないために。
自分自身も病に対して勉強し、理解し、考え、判断する。
ありがたいことに今息子には心から信頼し、判断を任せることができる医師が主治医でいてくれている。
何か大きな判断をしなければならなくなったときにも、この医師の言うことなら私も主人も後悔せずに治療を託せると思っている。
1人の「人」として信頼できる医師に出会えて、今は本当に感謝している。