「健康の不自由」という話
まえがき:健康主義と従属の道
2019年、新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、人々の健康意識は高まった。「PR TIMES」の健康への意識調査でも次のような結果がわかっている。
コロナ禍のステイホーム期間に「健康に対する意識が高まった」と回答したのは約4割。健康意識が高まった理由で最も多かった回答は「新型コロナウイルスを始めとする感染症や病気にかからないよう、免疫力を上げたいため」。二番目に「出かける機会が減少したことにより、運動不足になっているため」との回答が多く、コロナをきっかけに健康に対する意識が高まった人が多いことが分かりました。
(『【コロナ禍の健康意識に関する調査】コロナ禍で「週に4~5回」以上自炊をするのは約7割!約4割が「健康に対する意識が高まった」と回答~ 20~60代男女に聞いた「コロナ禍の健康意識に関する調査」 ~』)
PR TIMESの調査からもわかる通り、人々の健康意識が向上した理由は「免疫力」と「運動不足の解消」の二つにある。コロナ自体の死亡率は決して高いものとは言えないが、合併症による死亡率は高い。合併症による死亡率の高さを考えれば日頃から健康な暮らしをしようとするのは当然だろう。
そして、もう一つの理由は「ステイホーム期間」にある。コロナの感染リスクを下げるためには自宅に籠ればいいわけだが、当然、一日中家の中にいるのでは全く運動が出来ず不健康と言わざるを得ない。こうした背景もあり、現在では自宅で簡単に運動ができるようにZOOMを利用したストレッチ教室や「リングフィット」というようなゲームを利用しながら運動を出来るものなどが注目を集めている。
こうした健康意識の向上は一見喜ばしいもののように思える。誰もが病気にならずに、長生きできるのであればなんと素晴らしい事か。しかし、私には、同時に「健康」が絶対的に素晴らしいものであるかのように神格化されてゆく社会に疑問を感じざるを得ないのである。何故なら、健康を追い求める「健康主義」は全体主義に傾く危険性を伴うからである。
毒物学者のペトル・シュクラバーネクは、健康主義について次のように指摘している。
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