年収が2,000万円下がる転職
僕は投資銀行を辞めて途上国の貧困層の命の救済をするNGOに転職する。
退職の申し出をし、上司や人事部と面談をすると必ず「同業やファンド、コンサルへの転職なら分かるがNGOへの転職なんて前例がない。給料は大幅に下がるけどいいのか?」と聞かれる。
結論、給料なんてどうでもいい。中高時代から誰もが東大を目指す進学校にいたという環境と自己愛の欠落が故にお金や社会的評価といったものに縋るしかアイデンティティを保てなかったために、給料の良い投資銀行に入社し8年間勤務したものの、お金を得た先に僕の心を満たすものは何もなかった。
人生100年時代と言われるものの、人の人生は長いようで短い。
僕の30年間の人生の中から睡眠時間と社会的評価を得るためだけにやっていた退屈な労働時間を除くと、僕が僕のやりたいことに生きた人生は一体どれくらいなのだろうか?
果たしてこのまま今の仕事をずっと続けた時に僕は死ぬ時に後悔しないのだろうかという想いが強まった。
自分が何をしたいのか、自分が何をすれば死ぬ時に後悔しないのかを断食をして五感を研ぎ澄ませながら自分の内部感覚や感性の声に問いかけ続けた。
恐らく、上司の死や親友の難病を経験したこともあるのだろう、また僕が普段呼吸していることを認知していないのと同様に無意識のうちに受信している感情もあるのだろうが、障害や貧困の中で死にゆく人々の命を一つでも救済し、より良い社会の構築に少しでも貢献できるのであれば僕は死ぬ時に後悔しないであろうと思った。
それは周囲が言うように合理的な判断ではないと思う。所謂直感というものだ。現実を見ろと言われるが自分の直感に従った人生を送らなかったら後悔しないのだろうか、また失敗して自分が死にそうになったら後から金を稼げばいいだけの話ではないだろうか?
実際により良い社会の構築を目指すべく僕はサラリーマン生活の後半の1年半、サステナブルファイナンスの世界にいた。環境問題や社会問題の解決に資する事業に資金が流れるように大企業のファイナンスをサポートするお仕事だ。
一方、様々な国際機関や各行政と環境問題や社会問題について議論して、ファイナンスを通じてより良い社会の構築を目指していたが、所謂上流で議論しているものが実際の途上国の貧困層の救済に繋がっているかは甚だ疑問であった。正直、大企業がサステナブルファイナンスを実施しているのは、本気で社会を良くしようと思っているのではなく、単なるPR効果、すなわちファッションにしか見えなかった。
僕の友人のカンボジア人は月収2万円で家族を養っている。2万円の稼ぎ方は毎日ゴミ箱を漁って鞄や洋服を拾った上で、修繕して市場で売るという方法だ。
そんな人々がいる中で日本の大企業が実施する再生可能エネルギー事業や省エネ事業に資金を流したところで一体何の意味があるのだろうか?
ちなみに2050年カーボンニュートラルとか謡っているが、人間の強欲さ故に残念ながら100年後の地球環境の破滅は避けられない。
全ての命を救済することは不可能だと思うが、それでも僕は現地に行って死ぬ時に自分の人生は人のために役立ってよかったなと思えればそれでいいのだと思う。
僕みたいに現地に行って命の救済活動をしたり、自分の資金を減らしてまで途上国支援をして欲しいとは思わない。ただ、ほんの少しだけの思いやりを持って欲しい、日本は超裕福であり皆さんが使わなくなった衣服や鞄を寄付するだけでも現地の人からするとめちゃくちゃ生活の助けになることだけを知ってほしい。ほんの少しでいいのでtake actionをして欲しい。