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俺の生き方


今日はこーやん最後の挨拶をしたいんだ。

最後って言ってもnoteをやめるってわけじゃなくて、今年最後の日の挨拶って意味だよ。

今日は自分の自己紹介ではないんだけど今までの人生にあった出来事を少しだけ話したいと思うんだ。

ほんと色々あった人生今現在で40年になる。

20年以上前の話だけど10代の終わり頃、築地の市場で働いてたんだ。

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築地で働いたきっかけは、友人が働いていて、人手不足で誘われたのがきっかけだったな。

まぁその友人は一緒に働き出して1ヶ月位で辞めて行ったんだ。

後から同じ職場の人から聞いたけど、もともとその計画だったみたいなんだ。

当時は仕事辞めるのに人出不足だから辞めたくても辞めさせてくれない状況だったみたい

今では訴えられちゃうよね

まぁ後釜を見つけるから辞めさせてみたいなのがあったみたい

そんな経緯だった職場だけど

仕事は凄く楽しかった。

毎日市場に行くのが楽しくて、仕事の事ばかり考えてたかな。

それから数年経った頃、市場でも顔が売れた頃に、店を継がないかって話が来たんだ

その当時、築地の市場の仕事で必要なのは顔が売れてるって事と人間性が重視されたんだ。

顔が売れてないと良い商品を出して貰えない事が多いからなんだ。

だからそこそこ顔の売れてる顔馴染みに声かけて来たんだと思う。


そのおかげで店を継ぐ事になったんだよね

継いで数年で店は大きくなっていったんだ

経費や人件費全て払っても毎月数百万のお金はずっと通帳に追加されて行ったんだ。

でも、毎月数百万のお金が入ってきても、贅沢って言われてる類の事はしなかったんだ

だからお金は毎月ほとんど使わなかった。

当時、月島にマンションを借りてたんだけどそこの家賃、携帯代、食費

休みは月に2回しか取らなかったから酒もほとんど飲みに行かなかったなぁ

とにかく起きてる間は仕事の事ばかり考えてたなぁ

労働時間は深夜1時から夕方15時まで

家に帰っても寝るだけの生活。

それが普通で、あたりまえで、最高に楽しい時間だった。

毎日大好きな仕事の事を考える日々は最高だったなぁ

好きな事が仕事って幸せすぎた。



でもね長くは続かなかったんだよね。



店を継いで軌道に乗り出した頃に友達の紹介で一人の人間を雇う事になったんだ

友達の友達って事で歳も同じで、たいして知らない相手なのに信用して、一緒に会社を大きくできればとかも考えてた。

友達の友達ってだけで自分にとってはまだ他人なのに友達ってフィルター通るだけで全てを信用してしまったんだ。

一緒に働き出して1年位経った頃には仕事やお金の管理を任せてたんだ。


完全に信用していたし。


そしてある日、問題が発生したんだ。

取引先から夜携帯に連絡が来た

普段携帯になんて電話して来る人じゃないのに。

市場の朝はとても早いから基本的にはめちゃくちゃ早寝してる18時位には寝ていたと思う

電話があったのが22時位だったかな

荷物が届いてないとの電話

配達してるのは頼りにしてる友人だった

今まで配達が遅れる事なんて一度も無かった

だから交通事故が頭をよぎったよ

急いで友人に電話してもコールは鳴るが出ない

でもどこかで冷静な自分がいて配達の前に、お腹が痛くてコンビニでも行ったりしてるのかとか

途中で仮眠してたら寝過ごしたとか、それくらいにしか思わなかったんだ


その件があって数時間後に事の重大さに気づいたんだよね。


警察から電話きたんだ

トラックが迷惑駐車で困ってるって連絡きたんだ

そのトラックは友人が乗っていたトラック

トラックは見つかったけど友人は見つからなかった


15年位経った現在も彼を見ることはない。


真実味が無い話だけど名古屋の方に居るような話を聞いたと思う。


そのあと色々わかったんだけど銀行にある会社のお金も無くなっていた

今まで貯めていたお金は全てだ。

それよりも、何よりも

この事件のあとの自分自身の行動が一番まずかったと思う


このあと自分自身の行動は『お金を取り戻す』って事しか考えなかったんだ。


もしこの時

『お金を取り戻す』

事より

『信用を取り戻す』


事に重きを置けばこの後の状況は変わったかもしれない。



でもね、それが当時の20代前半の自分には分からなかった

学校で日本が戦争で負けた後、経済や国を建て直すためにした事も習った

金融政策の話もね


ボクシングジムでも習ったよ相手をどう倒すか、攻略法をね

逆に倒された時の盛り返し方も習った

あくまで精神論だけど


でもね


学校でもボクシングジムでも習わなかったんだよね。


なんの前触れもなく突然、友人だと思った人間に裏切られ、取引先から信用を失い、20代の前半で借金2000万以上になった時の人生の立て直し方なんて。


今でも忘れられないんだ


会社を潰して、マンション引き払って、実家に帰る途中に降りた北千住の駅前で食べた富士そば


何故、途中下車したのか、今考えても分からないんだけどね


トッピングするお金もなくて安いざる蕎麦食べて泣いたなぁ


涙腺も今よりずっと強いしワサビもたいして付けてないけど涙が止まらなかった

裏切られたショックより、自分を信じて一緒に働いてくれた他の従業員に対してと、お店を継がせてくれた前の社長に対して申し訳ない気持ちが溢れてきた

いっぱい泣いて店を出た後決めたんだ


『借金返してまた好きな事を仕事にしようって』


そして、借金返す為に、全てプライドは捨てたんだ


富士そば出てすぐに北千住には飲み屋街があるんだ


居酒屋、中華屋、寿司屋、キャバクラ、風俗店


その飲食街で一件のキャバクラ店の前に立っている人に話かけたんだ


『ここで働かしてくれって』


すごく驚いていたのを覚えてる


今でも忘れられないかな


そりゃあ驚くよね

目が真っ赤で、ぱんぱんにハラしたやつに働かしてくれなんて言われたらさ

まあ必死さが伝わったのと人手不足で即採用になったよ

明日履歴書とスーツを着て来てって言われた


それから数年間

朝の6時からトラックに乗って酒の配送をして

夜はキャバクラで働き

休みは月に2回

これを5年続けて2000万を返したんだ


それから数年経ち、昔富士そばで号泣した後の目標通り、今、好きな事を仕事に出来てるよ。


大好きだった市場の仕事ではなくて、また違う仕事だけどね。


2000万借金抱えた当時では想像出来ないけど、今はその当時の話はネタにしてる。


この、人に騙されて借金背負った話なんて何回飲みの席で酒のツマミにしたか分からないよね


借金の2000万のお陰で酒の席で皆んなを楽しませる事が出来たし

たまに奢ってもらったりとかあったし

本気で人生悩んで、鬱病になりかけた友人を救えたし

企業の10周年の祝辞もやったし

この借金のお陰で出来た出会いで友人が増えたし経験出来ないこともした

悩み相談もされる様になった





そして今思う




『人生は幸せな結果にしかならないんだ』


今、辛い事が起こってる人は幸せの途中経過なんだ

だからね、辛くても、あの時大変でよかった、不幸で良かったって思うから

数年越しでも時が経てば思うから

ネガティブな所でやめたらダメ。

勿体無いよ、その先には幸せがあるんだからせっかく辛い思いしたなら幸せも経験しないと。

こーやんは今も昔もずーとポジティブに生きてるよ

物事をどちらに捉えるかは自分次第

起きた出来事をネガティブに捉えるか、その後に起こるポジティブな結果のためにネガティブにとらえずポジティブに受け取るか


人生は面白い


何が起こるか分からないから



今書いてるこの記事を読んで不幸のどん底にいる人は元気出して欲しい。

もしこの記事を読んでも元気出ないならもっと色々話してあげるよ

まだまだ失敗した話いっぱいあるから


また時期見て色々話すね


キックボクサー時代の話、ダンサー時代の話、まだまだあるから


来年の話、明日からの話だけど


少しまた好きな事を、やりたい事を増やすよ。


面白い生き方をしてる人をこのnoteで記事を書きながら紹介したいんだ


それが来年のやりたい事かな。


それの第一回目として今年の最後に自分事を書いたんだ



長い話、読んでくれてありがと




今日はここまで


皆さん良いお年をお迎えください


ではまたね


こーやん ♪(´ε` )


















サポートして頂いた力は取材や撮影で協力して頂いた方へのお礼や、手伝って頂いた方に使いたいと思います。