OneTeamって欺瞞なのかもしれない
(ラグビーは大好きです。2019年は最高でした!安心して。)
そもそも、「チーム」ってなんだ?
言葉の企画の「チームの企画」を終えて、
振り返るフェーズになってはじめて、
今更、思ったこと。
ラグビー→アメフトと辿ってきた僕は、
「チーム」っていうもののそもそもを考えた事が無かった。
競技をやろうと部活・クラブに入って、
そうしたら同じ趣向を持った同世代が集まってて、
一緒に練習して、試合して、涙して、喜んで。
そうか、「チーム」には属してたけど、
「チームビルディング」はしたことがない。
全ては顧問や先輩方といった先人のお陰に過ぎなかったのか…
「チーム」の何たるかを考えたことなんて、確かに無かった。
なのに、「チーム」のそもそもを考えずに、
何となくで認識して、ぼんやりと自分の中で定義していた……………?
怖っ。
チームの一般的な定義
①共同で仕事をする人々の集まり。団。 「 -を組む」 「 -に入る」
②競技で対戦する、それぞれの組。 「 -対抗リレー」
(三省堂 大辞林 第三版)
だそう。
今回の「チームの企画」の場合は①。
(対戦ではないよね、うん。)
これにパッと浮かんだ「マイ定義」を加えるなら、
・共通の目的、ビジョンの下に
とか
・それぞれの役割を遂行する
とかが加わるかな。よーし!これが「チーム」だ!
とかなったらいかんような。
「共同の」
この言葉が、中々にキモい。
「共同」って何だ。
同じ痛みを分かつことか?足並みを揃えることか?
空気を読んで動くことか?ただ周りに流されるだけじゃないのか?
チームを「共同体」なんて言い換えたりしますが、
「共同」が同(どう)とでもとれる時点で
共同もへったくれもあったもんじゃねえな。
てか、違いもコミでの「チーム」じゃね?結論。
突然の結論、でも実際そう。
考えてもごらんなさい。
西暦が2000年も経って、ようやく「ダイバーシティ」なんて言葉に注目するのが人類ですよ。
そんな訳だし、真に「一体」なチームなんて、易々と作れる気がしない。
ぶつけて、妥協して、折り合って、我慢して。
意見を戦わせて、考えを変えて、時には譲歩して。
チームとして一つの答えに行く以上、必ず誰かがどこかで折れる。
でも骨と一緒で、折れた後には、強くなる。
折れて、潰れて、丸まって。凹んで、叩かれて、紆余曲折あって、
ようやく一つに、Oneに近づいていく。
近づくけど、完璧なOneにはならない。
それは必ずどこかで「違い」か、「違い」の残滓があるから。
OneTeamって言葉は確かに素晴らしい。
ただ、それは幾ばくの衝突を経て、やっと塊になってから
「実感値として」はじめて言えるもの。
発揚とかで「OneTeam」なんて言うのは
「中心になりたい」輩の独善で欺瞞でしかない、
只の「主観の押し付け」に過ぎない。ように思う。
…なんて風に熱くなって考えると、
ますます「チーム」って何なのか分からなくなる…
うーん、今回の考察で言えるのは、
「ゆるいつながり」から「ひとつのゴール」へ。
というのが、個人的に腑に落ちる「チーム」の一要素、ということです。
「チーム」、奥が深い… 「組織論」なんてのがある訳だ…
それにしても、、、
ちがいを ちからに 変える街
渋谷区のステートメントは深いなぁ…
………………うん。。。
ACCヤングコンペ、絶賛引き摺ってます笑
どうなるかなぁ。。。