Angel Wing ~5~ 「運命の出会い」
「……それでね、転んだときに泉が光ったような気がしたの」
「この泉が?」
傾き始めた太陽を背に、美羽と真帆は土手に座って泉を眺めていた。連れ立っての下校中、美羽がどうしても話をしたいと主張したので、こうして足を止めているかたちだ。
「そう! それも二回もだよ? もしかして、願いの天使と何か関係があったりして!」
「でも、何も無かったんでしょ? 見間違いじゃないの?」
真帆はそう言って泉を注視した。日光が水面に反射してはいるものの、「光った」と表現するには無理がある。当然、美羽はこのことを言っているわけではないだろう。
「どっちにしても、『願いの天使』じゃないわ。あれはただの昔話だもの」
「真帆までそういうこと言うんだ……」
真帆の答えを聞いて、美羽はがっくりと肩を落とした。
「……でもね、怪我したのはホントだよ? 顔から転んで……だけど、いつの間にか直ってたんだ。それは信じてくれるよね」
「確かに……」
美羽の話を聞いて、真帆は腕組みをして考え出した。それを見て、美羽は嬉しくなった。やっと自分の話を真剣に受け止めてくれたと思ったからだ。
「……美羽ならこんな何もないところでも転びかねないわ。顔からっていうのも説得力がある」
「ちょっと!」
美羽は思わず隣に座る真帆の腕を掴んだ。
「そんなことを言ってるんじゃないでしょ!」
「ごめん、ごめん。ちょっとからかってみただけ。別に真剣に聞いてないわけじゃないわ」
「本当に……?」
真帆が笑いながらも謝罪したので、美羽は掴んだ腕を離した。
「……じゃあ、信じてくれるんだよね?」
「そうね……」
訝る美羽を横目に見ながら、真帆は立ち上がり、泉に向かって歩き出した。
「『心の清らかな人が泉に向かって願いをかければ、願いの天使が現れて、何でも願いを叶えてくれる』……この町には、そういう伝説があるわよね」
「そう、そう!」
美羽は立ち上がり、滔々と語る真帆の隣に走っていった。
「それが本当だったら素敵だと思わない?」
美羽が興奮しながら真帆の顔を覗き込んだ。その瞳は期待で潤み、光り輝いている。
「うん、私も素敵だと思う」
真帆はそう答えながら、美羽の頭に手を置いた。
「でも、本当に起こるようなことじゃないわ。お話の中の世界でもない限りね」
「そういう真帆だって、お話好きじゃない」
美羽はムッとした表情で言い返したが、頭の上から手を払い除けることはしなかった。そんな彼女をなだめすかすように、真帆が手を優しく動かし、彼女の頭を撫でる。
「いくら好きでも、お話はお話よ。現実じゃない。怪我だって、きっと最初から大したことなかったのよ。焦ってたから痛んだだけ」
「そうかな~……」
昼間と同様、されるがままにしながらも、美羽はまだ納得がいっていなかった。しかし、思えば彼女自身、今朝は泉のことをさほど真剣には考えていなかった。もし本当にそこで何か大変なことがあったなら、学校のことなど気にしていられただろうか。
「……やっぱり気のせいだったのかも」
「うん。今日のところはそれで……」
美羽が一応の納得を見せたことで、真帆は頭を撫でる手を止めた。そして二人で道に戻ろうとした時、突然ハッと息を飲んだ。
「……いけない! 今日は早く帰らないといけないんだった!」
「えっ? 何かあるの?」
美羽が尋ねた時には、真帆はすでに土手を駆け上がっていた。
「お母さんの仕事が遅くなるから、華那の面倒を見ないといけないの! ごめんね、私先に帰るから!」
「分かった。華那ちゃんによろしくね」
一瞬だけ足を止め、お互いに手を振り合ったあと、真帆は全速力で走っていった。よほど急いでいるのだろうが、美羽と違って転ぶ心配はないだろう。美羽は小さくなっていく背中から目を切ると、もう一度泉に向き直った。
「……あれ?」
その時、また泉が光った。あくまで直感だが、今度こそ間違いないと感じ、美羽は泉のほとりまで駆け寄った。
「何かがあるはず……」
地面に膝をついて水の中を覗いてみたが、特に変わったものはない。次は注意深く辺りを見回してみる。すると、道路の上から丁度死角になっていた桜の木の下に、ようやく一つ異変を見つけた。
「……嘘……」
美羽は思わず息をのんだ。そこには、傷だらけの少女がうつ伏せに倒れていた。肩まで伸びたブロンドの髪に、白いローブのような服から覗く透き通るような色白の肌が映えるその少女は、倒れたまま身動き一つせず、呼吸も定かではなかった。美羽は焦燥感に駆られ、すぐさま彼女の隣に駆け寄った。
「大丈夫ですか!? 大丈夫ですか!?」
肩を叩きながら、必死に少女に呼び掛ける。それを三回ほど繰り返した後、少女の口が微かに動いた。
「わ……私が……」
少女は呻いたような声を出すと、体をゆっくりと反転させ、目蓋を開いて美羽の顔を見た。
「……あ、あなたは……?」
「あっ、気がついたんですね。良かった~」
美羽はほっと胸を撫で下ろすと、体を起こそうとする少女に手を貸しながら話しかけた。
「大丈夫ですか? あなた、ここに倒れていたんですよ」
「倒れて? ……まさか!」
少女は急に我に返ると、突然右手を開いて前方に伸ばした。そして精神を研ぎ澄ませるように静かに目を閉じる。すると、彼女の手のひらが白く輝きだした。
「えっ……」
目の前で起こった信じがたい光景に、美羽は思わず息を飲んだ。やがて輝きの中から、金色の光球が二つ浮かび上がり、空中に静止した。
「良かった。ちゃんと無事だった……」
それを確認すると、少女は安堵の表情を浮かべた。そしてゆっくりと手のひらを閉じた。それに合わせて光が収まり、光球も手の中に戻っていった。
「何……今の?」。
「あ……」
一部始終を見ていた美羽の顔に驚きが広がったのを見て、少女は慌てて右手を引っ込めたが、もう遅すぎた。
「何なに今の! 凄く綺麗だったね! どうやってやったの?」
美羽は興奮を隠そうともせず、目の前で起こった出来事の説明を少女に求めた。
「え、ええと……な、何でもないですよ。ただ、ちょっと光ってただけですから……」
少女はあからさまに動揺していたが、美羽は瞳を輝かせながら少女の次の言葉を待っている。少女は暫く無言で目を泳がせた後、おもむろに口を開いた。
「……あの……あなたは誰ですか?」
「私? 私は朱月(あかつき)美羽。あなたは?」
美羽は話題が変わっていることにも気付かず、名を名乗った。
「私はルディアと申します。よろしくお願いしますね」
ルディアも自分の名を告げると、たおやかに微笑み、事態の収拾を試みた。
「はい……」
そのこの世のものとは思えない美しさに、美羽は圧倒されていた。そして不思議な光球のことなどすっかり忘れ、ルディアを呆然と眺める。彼女のブロンドの滑らかな髪、ゆったりとしたローブのような服装は、美羽を幻想へと誘うようだった。しかし、傷だらけの透き通るような白い肌に目を移すと、美羽は我に返った。
「……って、そうじゃなかった。ええと、ルディアさん、体は大丈夫ですか? 傷だらけですけど……」
「……大丈夫です。問題ありません」
ルディアはそう答えると、ゆっくりと立ち上がり、ふらふらと歩き出した。
「……あれ?」
「危ない!」
美羽はものの数歩で倒れかけたルディアを咄嗟に捕まえ、しっかりと体を抱きかかえた。
「やっぱり大丈夫じゃないですよ。早くなんとかしなくちゃ……」
「……あの、本当に大丈夫ですから」
ルディアはそう言って離れようとした。しかし、美羽は腕の力を一切弱めず、顔をしかめて思案に暮れていた。
「う~ん……やっぱり救急車かな。でも、携帯持ってないし……」
「あの……美羽さん? 離してほしいのですが……」
「……そうだ! 私が病院まで運びますよ!」
美羽はそう提案すると、ルディアの体を抱え直し、背中におぶろうとした
「さあ、しっかり掴まって」
「……」
美羽のかけた言葉に、ルディアは返事に詰まったように黙り込んだ。
「……どうかしましたか? ルディアさん」
「……いえ、前にも同じようなことがあったなと……」
心配して振り向いた美羽に、ルディアは優しく微笑みかけた。
「前にも?」
「気にしないで下さい……それと、ルディアでいいですよ。私のほうがお世話になっているのですから」
「……分かった! さあルディア、病院に行こう!」
まだ疑問を振り切れてはいない美羽ではあったが、ルディアが背中に体を預けるのを感じると、気合いを入れて立ち上がった。その体は驚くように軽く、何の問題もなく病院まで運べるように感じた。
「……そういう訳にはいかねえんだよなあ……」
しかし、歩き出そうとしたその瞬間、突然頭上から冷ややかな声が聞こえてきた。美羽が上空を見上げると、漆黒の翼を携えた銀髪の男が浮かんでいるのが見えた。男はこちらを見下ろし、不敵な笑みを浮かべている。
「見つけたぜ……願いの天使」
つづく
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