Angel Wing ~2~ 「激走する少女」
街の空は晴れ渡り、辺りに咲き誇る花々と人々の笑顔が、春の隆盛を物語っている。その光景はまるで、新たな生命の息吹を表しているかのようだった。
「……遅刻、遅刻~!」
そんな穏やかな陽気に包まれた早朝の空気を突き抜けて、焦燥感に満ちながらも、どこか間の抜けた声が街中を駆け抜けていく。
声の主は、ブレザーの制服を身に纏い、癖のあるショートヘアを振り乱して街中を全力疾走する赤毛の少女だった。彼女は小鳥の囀りも、僅かに枝に残る桜の花も無視して、一心不乱に激走する。学校に遅刻しないために。
少女は疾風の如く賑やかな街並みを駆け抜け、少し狭まった土手の上の一本道に出た。開けた視界の先に、ゴールである校舎が見えてくる。しかし無情にも、その姿はまだ遥かに小さい。
「ヤバイ、ヤバイ!」
少女はさらにチャージを掛けるべく、足の回転速度を上げようとした。しかし、その拍子に脚がもつれ、無様に転んでしまう。
「ブギャ!」
情けない声を上げ、少女は顔をアスファルトの上に強かにぶつけた。
「痛てて……もう、なんなのよ!」
不満を漏らしながら、少女はへたり込んだまま赤くなった鼻をさすった。幸い血は出ていないようだが、鈍い痛みを感じる。今日一日は続く痛みだろう。
「最悪だ……」
少女はがっくりと肩を下ろし、しばしの間うなだれた。膝も少しすり向いているようだ。少女はため息を吐いた。
「……ん?」
その時、少女は何か異変を感じて道の脇のほうに視線を向けた。彼女の黒い瞳の先には、満開に咲く桜の木々と、緑の茂みに囲まれた美しい泉があった。日の光を反射して煌めくその泉の姿は目も眩むほどだったが、彼女がこの泉を見るのは初めてのことではない。いつもの通学路の脇にある何の変哲もない泉だ。
「……気のせいか」
少女は気を取り直してゆっくりと立ち上がると、スカートについた汚れを手で払い、シャツとブレザーを整えた。
「……よし!」
正確に言えば、制服は完全には整っていない。だが少女は満足したらしく、再び歩き出そうとした。
「……あれ?」
その時、少女は再び泉へと向き直った。しかし、泉はやはり日の光を反射して煌めいているだけで、相変わらず何の変化も無い。桜の枝と茂みが、風に揺れて音を出したが、それとていつものことだ。
「……やっぱ気のせいか……って、ああ!」
少女は頭をかきながら泉から視線を外すと、より重大で早急な事実に気がついた。
「こんなことしてる場合じゃなかった! 遅刻しちゃう~!」
間の抜けた声を発しながら、少女は再び走り出した。
——そうして、泉に起こった本当に重大で早急な事件は、結局誰の目にも留まることはなかった。少女が体の痛みが消えたことに気付くのも、それからかなり時間が経った後のことだった。
「……あなたの……思い通りには……」
茂みに隠されたルディアの痛々しい姿も、その苦しげな呻き声も、その時は何者にも顧みられることはなかった。
つづく
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