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episode2 強烈先生、現る/緘黙症だった子どもの私

母親以外とは
うまく話ができなかったわたしに
訪れた第2の革命。
続編です。

あの革命のあとも
人と喋れないことが
まだ私の人生を覆っていた。
重たい霧のように
何枚も重なった薄いベールのように。

そんな私に
第2の革命は訪れた。

それは小学校3年生のときの
担任の先生。

先生の決まりはこう。
・何か言われたら必ず大きな声で「ハイ」と返事
・文末には「です」をつける
(場合によっては"です"にはならないけど、3年生にわかりやすいようにそう言ったのだろう)
・先生に質問されたら誰よりも先に手をあげる
・たくさん発言する子がいい生徒
(間違えてもいいから勇気を持ちなさい)

先生は黒板の一番端に
はい です
と書いて
これだけはいつでもみんなが見えるように
決して消さないようにと言った。
1日の始まりに大きな声で
はい です を
全員一緒に何回か
言わないといけなかった。

それから先生は
「不正解だけど面白い発言」も
オッケーにした。
こうやって
勉強が嫌いでひょうきんな子にも
発言できる場を設けたのだろう。

変な先生。
若くはなくベテランの風格。
どこか逆らえない雰囲気のある
小柄な女の先生。

クラス替えをして
ただでさえドキドキしている
このクラス全体が
少しの威圧感と緊張感を感じていた。
だけど
なんだかちょっと笑えた。
そんなに嫌じゃない
むしろ
当たりくじを引いた気分。

強烈なこの先生が
私に第2の革命をもたらしてくれた人だ。

最初
先生のルールは
話ができない私にとっては
苦手な項目に思えた。
でも
いざやってみると
手を挙げて指されて
「はい、ヨシオカさんの番」となれば
発言は苦ではなかったのだ。

わたしの"話せないちゃん"は
「誰も聞いてくれないかもしれない恐怖」
だったから。

強烈な先生の
昭和ならではの
やや軍隊チックな雰囲気のおかげで
"おりこうさん"の私は
誰よりも先に
誰よりもたくさん
発言することができた。

授業は
正解と不正解と笑いのコントラストで
バランスよく成り立っていた。

そういえば
先生のルールで
一つ私が好きなだったもの。
毎日詩を書いてそこに絵もつけて
提出すること。
それが
一番大切な日々の宿題だった。

先生はちょっと怖い顔で
わたしにハナマルをくれて
スバラシイ!と書いたりした。
そして母には
「クミさんは詩がとても上手ですね」と言ったのだ。
さりげないごく普通の褒め言葉。
私は先生を割と好きになった。

そして
発言をきっかけにして
向こうから話しかけてくる色々な子たち。
宿題のわからない子
同じくらい勉強好きな子
発言の数で勝手にライバル視する男子
ひょうきんな発言ばかりする子。
そのときに自分の中でペローンと剥がれた
「喋れないレッテル」。

自然と友達が
たくさんできていった。

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