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ギソを食べたのはいつのことか。

大蛇の腹の中を這うように、車は赤い山々の間を起用には走る。
張り切って引き下ろしたお金があったのでトゥピサにもう一泊しようかと、朝荷物をまとめながらまだ考えていたのだけれど、いまここを出ることにどうしてもしっくりくるので、何か誰かに背中を押されるように昼ごろマイクロバスに乗ったのだ。選挙の不正が証明されたので前日はどこの街もお祭り騒ぎで、道を塞ぐ者もない。国境もすんなりと越えてアルゼンチンに入った。バス停の場所を尋ねると同じくバス停へ行くという女性がいる。もう30年ほどブエノスアイレスに住んでいるという彼女はちょうどラパスへの里帰りから戻るところ。ひとり旅に対する驚きはもう恒例になった。「ソラメンテよ」というと「ソリータね」とあだ名をもらった。ソリータか。悪くない。ラパスでは大統領派の暴動が起こっていた。「ラパスはどう?」と尋ねると「ラパスはいま大変よ」と、名前が思い出せない親切な女性。大統領を追い出したもののそれにかわる人間がいないのでボリビアはいま途方に暮れているのだ。
彼女に別れを告げお金をおろしサンドウィッチを食べてティルカラ行きのバスに乗り込んだ。

国境はあるけれど景色はまだまだ変わらない。幾重にも色の重なる山々も頭に白い花をつけた大きなサボテンも、なかなか完成しない家々もちゃんとある。この辺りは空気がよく乾いて砂が舞う。バスの外を眺めて本のページに戻るたび、手にざらりと砂がついた。


目指したのはアルゼンチンの北の、ティルカラという小さな山あいの町。どんな場所かと思ったが、虹色の山や塩湖が見られるというので国内外からそれなりに人が来る。ホステルの従業員もみなブエノスアイレスやその他の都市から移ってきたという人ばかりで、風通しのよいここの雰囲気にも頷ける。こういう人の出入りのある小さな町がわたしはとても好きだ。


ここまで南へ来るともう、チョリタスの姿はない。馴染みになった長いおさげと厚いスカートが記憶の中で揺れる。ホステルのラウンジで熱いコカ茶を飲みながらごちゃごちゃとした思考を弄んでいると目の前に皿が差し出された。レンズ豆を野菜や肉と一緒にトマトソースで煮込んだギソはアルゼンチンの家庭料理で、この国へ来たときいろんなところでご馳走になった。少し肌寒い山の夜。ギソの味がすでに懐かしくて、アルゼンチンへ来たのがもうずいぶん前のようなことに思えた。

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