キオニコール
『キオニコール』
彼女が管理していたミニブログの、最後の記事に、呟くような一言が遺されていた。
もう、更新される筈もないのに、何度も確認してしまうのは、癖のようなものだ。
着慣れない喪服を隠す、ロングコートのポケットに携帯電話を突っ込んだ指が、とうに止めた煙草を探す。
二度目の葬儀の、棺の中身は空だった。
冬山で命を落とした者が、次の冬を待って此岸に戻って来ることがある。
生前のまま、変わらぬ姿を、雪骸、と呼ぶ。
記憶も、仕草も、全く同じでありながら、次の春を待たずに一握の雪塊となって消える。
昔は雪骸になった者を里に戻すことはなく、うち捨てていたと聞くが、今ではひっそりと家に戻して一冬を過ごさせるのが通例だった。
家に籠め、誰にも知らせずに時を待つ、或いは生前と変わらずに扱う、対応は様々だが、彼女をもう一度弔った家族は、最期まで娘として扱うと決めていたのだろう。
降車ボタンを押すついで、バスの外に目をやると、また雪が降り出していた。
今冬一番の冷え込みの予報を見る限り、気温の変化が彼女を消したわけではなさそうだ。
傘を持たずに出たことを少し後悔しながら、最寄りのバス停で下りる。
地面に落ちた雪片はまだ積もる様子はなく、端から溶けて、町の色を色濃く染めて行く。
その一画、塀の隅に小さな雪の塊があり、首を傾げた。
今日は風もなく、吹きだまりになるような場所でもない。
濡れたアスファルトの黒に近い灰色の上で、その白さは否応なく視線を呼ぶ。
大きさはちょうど――最期の、彼女位か。
思わず、そう比較してしまった自分に眉を顰めた瞬間、雪の塊が動いた。
ぴっ、と幼い生き物独特の反応で耳を立て、瞬時に猫の輪郭を取り戻した塊は、青空色の瞳と野生の素早さで以て、私の視線を捉えた。
つかず離れずの距離を取り、子猫は後からついて来た。
自宅の戸口で振り返り、敢えて凝視してみても物怖じする様子もなく、こちらの様子を伺っている。
よくよく眺めてみると、子猫、と呼ぶには少し大きい。左耳の後ろから額にかけて、ごく淡い色合いの虎縞が入っている他は白く、丸い後ろ姿を雪と見間違えたのも納得した。
上がって来ても、餌はない。そう、猫に説き伏せるのもばかばかしく、黙って鍵を開く。
祖父母の代から暮らす古い平屋の引き戸は重く、開閉に力とコツが要る。
案の定、両手拳が入る程開いたところでガツリと桟を噛んだ隙に、猫は長い尾でするりと足を撫で、こちらを見上げながら屋内に入り込んだ。
あっという間に廊下の奥に進む後ろ姿を追い立てる気にもなれず、人気のない室内に暖房を入れて、再び携帯電話を取り出した。
そういえば、彼女の愛猫も拾った猫の筈だ。
何気なく、過去の記事を検索してみれば、支える掌からはみ出すように四肢をだらりと伸ばして眠る子猫の写真が表示される。
視線を合わせたら最後です。
三年程前の記事に、拾ったばかりと思しき愛猫の写真と共の断言を、今、痛感する。
猫は既に我が物顔で、室内を歩き回っており、ごみ箱の下を嗅いでいる。
餌がないと解れば勝手に出て行くだろうと、エアコンが部屋を暖める間、こたつに足を入れて携帯電話に表示された情報を眺める。
昨年の十二月に、一度途絶えたブログは、彼女に向かって鳴いていると思しき、白猫の写真を中央に据えた記事から再開されていた。
おかえりなさい、と添えられた一言は、愛猫の主張を代弁したのだろう。
それを皮切りにして、この三ヶ月ぽつぽつと更新され、折に触れて彼女の生活、主に愛猫の様子を伝えて来るのを遡って読み進める。
彼女が縁を得た猫はスノウ、先代猫の名はユキといい、不思議と白猫に縁がある家だ。
次に来る猫が雄ならニックス、雌ならネージュと名付けるだろうと、笑いを模した顔文字を文末につける癖があったことに、今更ながらに気が付いた。
けれど、心は動かない。
一度目の葬儀での、涙が涸れぬかと思った程に強い、惜別の記憶も確かに残っているのに、もう二度と会えない今の方が、気持ちが静かに落ち着いている。
昨年から故郷を離れている親兄弟より、親しい距離を感じていた。筈が。
考え込む間に、ふと腰のあたりに重みを感じ、脇を開いて目を向けた。
好き勝手に歩き回っていた猫が、いつの間にか、自分に身を寄せて丸くなっている。
規則正しい眠りの息に揺れる、和毛の柔らかさに思わず手が誘われる。
小さな身体を包むように置いた掌の下で、暖かく、柔らかな命の感触が脈打って、ゴロゴロと音を立て始めた。
あまりにも人間に慣れた様子に息を吐く。
何処かで飼われていた、迷い猫なのだろう。
飼い猫だとすれば雪の戸外に追い出すのはあまりに無情、一時とはいえ預かるなら、適当に放置するわけにもいかないだろう。
諦めて、猫に最低限必要な品を、過去の記事から検索する。彼女の経験を後から追うのかと思えば、少し安らぐ心地がした。
案の定、猫は人間に飼われる際のルールを熟知していた。
トイレを整えればそこで用を足し、餌の用意を急かしはすれど、盗み食いや準備の横から掠めたりしない。
こちらが本を読んでいればいつの間にか、静かに身を寄せて眠っている。
生き物のいる生活は、もっと騒がしいものだと思っていたのが、拍子抜けだった。
ただ、年若い猫なせいか、遊びを請い始めると際限がない。ねこじゃらしの穂先を追い、息が切れる程に跳ね回っても、まだボールや紐に目を輝かせて飛びついていく。
遊びと眠りを交互に繰り返す合間、保健所に問い合わせをかけ、迷い猫の掲示板で情報を探しと、猫の去来を求めることに時間を費やしてはいたが、手がかりは皆無だった。
猫の自発性を期待し、外へ通じる扉の隙間を開き、いつでも自身で出て行くことが出来るようにしてみても、猫にその素振りがまったくないまま、三晩が過ぎようとしている。
だが、このまま飼うわけにいかないことだけは、確かだ。
そんなことを考えていると、必ず猫はこちらを見上げて来た。
猫に意思があるとは思えないが、その時の静かで強い瞳の青を見ていると、眼球の裏が滲むような、鼻の奥が冷たく香るような、奇妙な感覚に耐えきれず、思わず目を逸らしてしまう。
彼女にも。こんなことがあっただろうか。
疑問に思うことは先ず、ブログを確かめるのが癖になって、また登録先を呼び出す。
『キオニコール』
最新の記事、一番最期の言葉が、その度に目に止まる。何度か調べてみもしたが、一致する言葉は存在しないと出る。
ふと思いついて。コールのみを、彼女のブログに限定して検索をかけてみた。
雨上がりの香りは、ギリシャ語で石のエッセンス、ペトリコールと言う。
窓の外、紫陽花を眺めているようなスノウの横顔と、彼女の言葉が表示された。
彼女に縁を持つ、白猫たち。ユキ。スノウ。そして、ラテン語でニックス、フランス語でネージュ、どれも雪を意味する言葉だ。
キオニもまた、ギリシャ語のそれ……キオニコールは彼女の造語、意味は多分、雪の香りだ。
鼻の奥に冷たく、肺の底まで冬の大気で浄めるような。独特の香りは意識すれば、今、暖かな室内でも確かに感じられた。
ふと猫が、細く、長い声で鳴いた。
見れば、ちょこんと揃えた足先を、身体の前に回した長い尾でするりとくるむように居住まいを正し、見上げてもう一声を上げる。
青空の瞳は、真っ直ぐに自分を見つめ、見上げ、ただ無心に澄んでいる。
まるで、私がここに、いますと告げているかのようだ。
雪骸は、春を前に消える、もういない人間の形をした、何かだ。
同じ姿、同じ記憶を持った亡霊、もう一度死をつきつけるだけの存在を目にすることに耐えきれず、自分の家族は故郷を去ったのだ。
目の奥で滲む何かの正体は、涙だと解った。
その場に膝をつき、猫の首の後ろを揉むように撫でれば、目を細めた猫は心地よさげに、既に耳慣れた低い音で喉を鳴らしている。
私がここにいること。それだけでも満足気な様子に、何故か救われた心地と安堵で涙が溢れ、水分で脆くなった膝が、体重を支えきれずに砕けてしまう。
甘い程に冷たい雪の香りがする。それを感じる自分が、まだここにいる。まだここに、いたいと願う気持ちと裏腹に、暖かな涙に身体は徐々に崩れて、雪に戻っていく。
心が遺るそのことが、こんなにも満たされて辛いことだとは、あの時は解らなかった。彼女も多分、知らなかった。だから私たちは戻ったのか、戻されたのか。
床に倒れた私の頬を、猫が何度も鳴きながら、泣きながら、暖かい舌で舐めている。
生涯で最も幸せだった三日間は、せめて最期くらい、名をつけて、呼んでやりたい。
私は、最期の呼吸、雪の香のする祈りの息を、その最も相応しい名に乗せて吐き出した。