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彷徨うおっさん136 電話という感情労働(4/4) 当然プライベートでも、電話は面倒

 前回は、苦情系の長電話の心理についてと、電話の良くない点、電話窓口の衰退について述べた。
 最終回の今回は、プライベートでも電話は嫌だなと思う話をしたい。

<電話と聞いて思い出すのは過去の話ばかり>


 昔の人はそれでも、電話で長いこと話をして、情報交換したりモヤモヤを晴らしたりがあり、電話を好ましく感じている人が少なくない。
 おっさんの世代(1980年代生まれ)でも、同世代以上の友人、配偶者、恋人ならば、長電話を辞さないという人は案外居る。
 流石に若い人とはSNSになるが、それほどまでに電話文化というものは、古い世代の人になじみ深いのかもしれない。

 例えばおっさんには、別々に暮らしている母親がいる。お金の問題、生き方の問題で絶縁したのだが、絶縁して数年したところで、家の固定電話の解約をしていなかったことに気が付いた。
 気が付いてからは、請求の度に気になってしまい、精神的にモヤモヤしたので、
思い切って解約することにした。

 すると、縁を切っていたにも関わらず、人づてに、電話番号の復活のためだけに、なんとかおっさんに連絡を取り、手続きを踏んでほしい旨を訴えて来た。
 おっさんが解約すると、電話番号が消滅する事は解約手続き時に知っていたが、積年の事でうんざりしていたので、断腸の思いで手続きをしたものである。
 だがその想いを超えて(あるいは単に無神経なのか)連絡を取ってきたので、電話へのその想いたるや、凄まじいなとおっさんは思ったものである。

 母には友人があまりいなかった。また、それでも必要な友人とは携帯電話でつながっていたので、今更固定電話は要らないはずである。

 にもかかわらず、長年使っていた固定電話の電話番号に固執していた。嫌な人だったが気の毒には思い、でももう会いたくないので情を見せて縋られるのも嫌だとも思い、電話番号復活のための手続きは辞したが、最後まで後味は悪かった。

 うまく表現できないが、体験の示すように、それほどまでに電話というものは、あの世代(昭和20年代生まれぐらい)には大事なもののように思う。


 おっさん個人の思い出になってしまったが、かくも電話、特に固定電話とくればもう、現代では、ほぼ昔話でしかないのではないだろうか。

 しかもいい思い出よりも、嫌な思い出ばかりではないだろうか。

<長年使った電話番号は、トラウマとリスクだらけ>


 おっさんがここまで批判したところで、昔の人にとって、電話は何か思い入れがある通信手段であることは変わらないのかもしれない。

 ではその思い入れとはなんであろうか?

 温かみだろうか? 親近感だろうか? 生まれてから今まで当たり前に存在していたが故の執着だろうか?
 それとも、昔の友人から突然かかってくる電話に期待しているのだろうか?

 おっさんの世代ならばギリギリ共感できる気もするが。。。
 それでも電話の嫌な面が勝ると思う。加えてリスクも大きい。

 温かみのある関係は、リアルで人に合う機会には勝てないし、いくら時間等申し合わせても、長電話はストレスではなかろうか。


 ビジュアルとして、あのフォルムと、固定電話ならではの親近感(あって当たり前の家電感)は確かにノスタルジーだが、子供が学校に行くたび公開するなどして広まった、数十年に渡ってばら撒かれた不要な繋がりも、電話番号と共に記録されているのはある意味忌々しい。
 時には懐かしの友からの電話もあるかも分からないが、最近は別の手段(SNSで繋がって同窓会など)で昔の学校の友人と会えるし、それらに期待するよりも、今の仲間との絆のほうが全然大事だろう。
 むしろ掛かってくる電話は、妙な投資の儲け話やら、要らないサービスの押し売りなど、大概はろくでもない。
 年寄りになって判断力も落ちてくると、オレオレ詐欺的なものも心配だ。

 また、これはウチだけだが、葬儀屋と一つ違いで、間違いFAXがたまに流れてくるのも嫌だった。
 そもそもFAXなんて付いてても、間違いFAXと広告だけしか流れてこないのだから。よもやどうしようもないシロモノ家電、いやクロモノ家電だ。

<電話してくる恋人とは長く続かなかった>


 「電話してくる奴とは仕事するな」という話は最近よく聞くが、おっさんに言わせれば「電話してくる女とはつきあうな」である。
 仕事中、食事中、勉強中、正直言って話なんてしたくないのに 

「かけてみた」


 とか何とか言ってくる女がいる。そう。愛情の確認だ。

 正直、面倒だったが、易々と関係を断つわけにもいかず、暫くは付き合うのだが、これを許して関係が深くなってくると電話で怒ったり、ますます場違いに電話かけて試したもするので、結局関係が続かなくなる。

 今は、ある程度ほったらかしても良い、或いは仲が良くなれば返信が無くても気にならないツールが山ほどある。
 それを無理やり自分の方向を向かせようとして、電話をかけてくるというのが気にくわない。重い愛情だ。

 こういう経験を重ねるたびに、おっさんは電話が嫌いになり、親しくない人の電話は、プライベートでも一旦は無視するようになったぐらいだ。

<電話は全てを感情労働に変換するツールではないか?> 

 仕事でもそうだが、プライベートでも、電話はそれ自体、感情労働を発生させる機会のようにおっさんは思う。


 「電話は効率が悪い」という視点で語られがちだが、それ以前に「昔からあれはストレスでしかなかった」とおっさんはあえて言い切っても良い。

 なにせ40年使ってていい思い出が無く、大抵は苦痛なのだから。


 電話はあくまでビジネス上ではごく簡潔に行い、プライベートでは緊急連絡ツール、またはインカム的な使い方に止めるのが良いだろうと思っている。
 ビジネス上の多くのやり取りにも、プライベートで愛を育むのにも、よもや使う価値はかなり薄れてきたなと思う。

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