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彷徨うおっさん88 満点主義の日本(7/7) 満点主義を脱すべく
前回は一旦論考をまとめつつ、満点主義思想と実際の幸福との間に乖離があることについて考察し、不毛な椅子取りゲームを脱した方がいいと述べた。
最終回の今回は満点主義脱出のための具体的な行動について、おっさんの私見を述べて締めくくりたい。
※ 本項はかなりまとまりがなかったなと振り返るが、そんな時もあると、素人の日記程度にお考えください。
<満点主義を脱するために 若い人編>
ではどうするか?
若い人(学生)は、学問に邁進する日々が基本であるため、学業成績で評価して欲しいという気持ちが大きいと思う。
だが、学問は学問で基礎として必要なことではあるとしても、それだけで生きようとしても、待っているのは真逆の満点主義地獄であることだけは、今後心しなければならないと思う。
最近の若年者の離職状況を見るに、割と取り越し苦労のようにも思うが、ある程度の立場を学業で得たら(或いは得られなかったとしても)、今度は学業以外の何かで切り開く未来を模索したらよいと思う。例えば。。。
人や地域との繋がり、新しい働き方(複業など)、高い生活力(身の回りのことや質素こそがクールという価値観)、思いっきり遊ぶこと、親世代からの独立。
大人の一部には「学校の勉強なんて社会では何の役にも立たないから」などと不機嫌に言う人も居る。
それはそのとおりだが、その先の行動指針がないと、不満たらたらの人と同じよう満点主義にのめり込むしかなくなる。
そうなる前に、点数で評価されないこれらの行動を、なるべく早い段階で並行して実行すべしである。
<満点主義を脱するために 中堅以上編>
また、現に働いている中堅以上の人は、いい加減満点主義にうんざりしている人も居れば、茹でガエルで適応しきった人も居ると思う。
茹でガエルは茹でガエルどうしで最後まで満点主義を競わせて、終焉を早めてもらう役にすればいいと思うが、そうでない人は速やかに点数で評価される世界から離脱を開始しなければ、不幸が募る一方に思う。
最近のFIREブームなどを見るに、やや無茶ながらも思想としては広がってきているように思うが、ある程度の蓄えと未来が見えたら(或いはトコトン落ちぶれたなら)、いっそ諦めて、仕事以外の何かで切り開く未来を模索したらよいと思う。
若い人と同じ例でもいいが、無理も入ってくる場合もあるので、やや穏やかに、例えば。。。
長い人生経験を活かした情報や思想の発信、やり残したこと(どうしてもやりたかった仕事や、家庭を持つことへのあこがれなど)の速やかな成就又は成仏、余裕があれば若い人の支援。
若い人の指針になれる経験や思想があれば、今後の満点主義地獄との付き合いもそこそこで済むようになるだろう。
ただし、押し付けがましい態度や、不適切な距離感などには注意が必要である。
また、いい大人ならば色々と達観していくと人生が楽になっていく。
達観している人は、態度も丸く、距離感も程よいので、若い人も付き合いやすくなるはずだ。
達観が出来ず、かつて満点を取れなかったことをいつまでも悔いていると、足を引っ張る人にしかならなくなる。
いつまでも若くはないのだから、そんなみっともない態度で居るわけにもいかない。
達観ができないというのであれば、満点主義の幻想に超高速でトコトン挑んで早く結論を出すことをお勧めしたい。
例えば会社での出世競争、例えば若くて綺麗な女性との結婚、例えば超難関資格の取得、例えば頼れるリーダー的立場に選ばれること
これらに大真面目に挑み、盛大に敗北するか、奇跡の大勝利を収めるかは人によるが、いずれにせよ可能な限り早く己の中で結論付けないと、年齢を重ねるごとに益々脱することが困難になってくる。
だが脱することが出来れば、その経験を後進に伝えることで、新しい価値観の構築の土台になれるようにも思う。
長く生きることの意味は、経験の蓄積と伝達、他者の精神的支柱になることに尽きるとおっさんは思っている。
中堅ともなれば、嫌われても、みっともなくても、なめられても上等ぐらいの気持ちで、
早く自分なりの軸を確立してしまったらいいと思う。
<最後に>
本稿で述べた満点主義の類義語としての完璧主義は使わず、あえて満点主義と表現したのには、減点主義(点数主義)的な意味合いの批判を強めたかったというのもある。
決められた枠内の正解を目指す中で、一方的な価値観の元で人が点数化され、減点評価方式が横行する。
これが閉塞感を生んでいるように思う。
満点主義とは減点を嫌った果ての完璧主義でもある。
完璧であることは必ずしも悪くはなく、完璧であることに意味がある分野も勿論存在する。
だが、どうでもいい仕事でミスや減点を恐れて陥る満点主義は、満点を取ること自体の意味も、価値も、満足感や納得感も乏しい。
ひたすら何かにおびえるストレスや、自分を守るために他者から椅子を奪うような醜さ、残酷さばかり伴うように思う。
かくも本稿が、そうした苦々しい満点主義から脱するヒント、誰かを守る手助けになれれば幸いである。