彷徨うおっさん137 未熟なアイデンティティ(1/7) アイデンティティ崩壊のショック
急な精神的動揺で人間関係が終了してしまうという人が後を絶たない。傍から見ると「何故そこで」と思うような意外な理由で怒りを露にする人が多い。
おっさん自身も昨年そんなことがあった。おっさんが作った料理を、あるグループに無償でおすそ分けした時「今回は数に限りがあるので恨みっこなし」として提供することとした。
元々ラッキーで食べられるのだし、いつも全員は集まらないのだから、当然食べられない人がいても仕方がないよねという、一般的に通じる話で提案したのだったが、グループ内の一人で、食事にありつけなかった人物が、カンカンになって怒ってしまい、仲違いしてしまった。
ちなみに物は、たかだかコップ一杯の豚汁である。
その人は以前から何度も同じように、お菓子などをおっさんや色々な人から善意で貰っていて、学生すら押しのけて一番多い量をせしめる人だった。
かくもいつも貰っているし、大人なのだから、1度ぐらい他の人に譲らないものかなとも思ったのだが、まさかの大激怒でグループ全員と半ば絶縁状態となってしまった。
たまにいるけど改めて人間とはよく分からないと思ったものである。
このような怒り方をする人は、傍から見れば理不尽でしかないが、彼らの方がむしろ、内心では大きく理不尽を感じているのだと思う。
一般的なルールや節度があることとは別に、自分自身の大事にする何かに基づく「アイデンティティ」の崩壊が、内側で生じているのだろう。
今回はそうした、しばしばある精神的動揺由来の人間関係の消滅について、アイデンティティという観点から考察してみたい。
<何がアイデンティティかは人による>
アイデンティティとは色々な解釈があるが、今回は「自分自身の存在意義」と定義しておきたいと思う。
アイデンティティを否定され、相手から必要とされていないと感じた時、人はどうにも悲しい気持ちになる。方々で嫌われ者かつ仕事ができないおっさん(著者)とて、ハッキリと「あなたは不要な人間だ」「能力が低い」などと言われると、やはり不愉快な気持ちは隠せない。
だが、そうは言っても人によってショックを受ける事象は異なるのではないだろうか?例えば。。。
① 仕事人間 → 無能と言われるのが耐えられず、僅かな失敗の指摘でも怒る
② 専業主婦 → 子供が居なければ勿論、居ても、半人前の寄生者と揶揄されると、差別だなどと言って怒る
③ オタク → 趣味や拘りに対する、非オタクからの拒絶に耐えられず、差別だなどと言って怒る
これらは多くの人が思い当たる節や、人づてに耳にしたことのあるパターンではないだろうか。
冒頭で紹介した人は、他の事例から推察し、おっさんの想像も含めるが、所謂人気商売であったため、ある意味他者から融通を利かせてもらったり、特別扱いされることこそが、自身のアイデンティティであったことと思う。
今までだって、自分は特別扱いされた。それなのに今回は自分だけ阻害された。恐らく耐え難い屈辱だったと思われる。
また同人は食に対する拘りが強く、食べ物を勝手に食べられたり、お預けにされること自体にも一切耐えられない人だった。
目下の人間を押しのけてでも食べたがるぐらい食いしん坊であったため、重ねて我慢ならなかったのだろう。
だが最後は攻撃性を発し、おっさんとだけではなく、周囲丸ごと友人でなくなるほどの事態になってしまったのは、多くの人の予想を超える動揺に思う。
かくも何処にアイデンティティ崩壊の原因があるか、その脆さや、崩された時の感情の激しさもまた百人百様であることがよく分かる。
次回に続く