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彷徨うおっさん110 いい加減気が付けよ共感のまずさ(2/4) 共感が掌(てのひら)を返して残忍性に
前回は、脳の男女差について、一部の非科学的な論者によって、その差が過剰に煽られ、個人差が無視されがちである現状について述べた。
また、情動的共感性の有害性において、共感することで周囲が見えなくなった事例について、おっさんの体験を交えて述べた。
今回はその続きと考察を述べ、次に「共感することで相手により大きな苦痛を与える選択ができること」について、再びおっさんの体験を述べたい。
<前回の続き 情動的共感の問題点>
情動的共感が持つ有害性について、前回の2つの体験例は、およそ10年ぐらい前の出来事である。時流からしても専業主婦のほうがリスキーな時代になっていたのは、少し周囲を見れば分かる話である。また、恋愛経験の少ない若い男(当時のおっさん)に、恋愛経験も社会経験も豊富であるはずの年上の女が、
私が働くのが大変だという気持ちを分かって欲しい。 子供と家で過ごしたい気持ちを分かって欲しい。 私の収入が無いとだめなの?なんでそんなに甲斐性がないの?
と、共感、共感、分かって欲しいと涙ぐんで強い口調で言う。
この状況に対して「所謂共感論」が蔓延していた時代だったので、共感しないおっさんの方が悪いぐらいの論調で片付けられてしまう状況でもあった。
実際あまりにも理不尽で耐え切れず、他者に相談もしたのだが、口をそろえて「我慢せえ」、二言目には「女の人にはそういうところがある」といった答えが返ってくる始末だった。
あまりにも共感論の影響が大きい。
だがこれは言うまでもなく、情動的共感である。仕事と育児の両立が大変であることや、一旦仕事を辞めた後の復帰が大変だという話ならば事実として認知的共感を発揮し、対処もできるが、その気持ちを分かって欲しいだなどと、まだ当事者にもなっていないうちから、情動的共感に誘い込んで、二人だけの世界にどっぷりと入り込む女性が案外多いように思う。それでは正しい判断が出来なくなる一方なので、男としては「無理です、さようなら」となるわけだ。
<掌返して残忍になる共感論者女性>
② 共感することで相手により大きな苦痛を与える選択ができる
深い仲になった女性に飽きられた頃、彼女が、おっさんの事情や立場、好き嫌いを利用して、残忍な攻撃に転じたという話には枚挙に暇がない。その体験の一つを話す。
日常のどうでもいい場面。彼女と互いの家を通っていた時、たまに行く彼女の近所の店で、クレジットカードが使えるのか、現金のみなのか、忘れていて、別日に2回訊いてしまったことがあった。
すると彼女が「だらしないね」と急にきつく当たってきたことがある。加えて「仕事ができないのはそういう注意力がないからだ」とまで言ってきた。
その彼女には以前、おっさんが仕事で有名なクラッシャー上司の下に付き、余分な文書事務を自分だけがやらされて参っているという話をしたことがあった。
仕事が馬鹿馬鹿しくて疲れるので、普段からどうでもいいことに気を張りたくないのだと、価値観を割と話していたと思う。
恋愛初期のイチャついていた頃には「そんなことないよ、コンゾーさんのほうが仕事ができるよ」などと言って惚気たりもしたが、いざ関係が冷えてくると、急にその事実を逆手に取って、前述のとおり、残忍になじってくるようになる。
共感というのはこの辺りのところに、怖さや厭らしさが確かにあるものだ。
また、これは多くの人の男女関係全般的に言えることかもしれないが、「自分と付き合いたかったら(或いはエッチしたかったら)、言うことを聞きなさい」という態度に女性が出ることがある。
特に既婚男性の場合は、家庭内が冷え切ったり、意図的にセックスレスにして女性が主導権を握るようになると、逃げ道が無くなる。そして真面目な男性ほど、女性に優しくすることで関係を良くしよう(或いは保とう)と努力してしまう。これもまた、事実を逆手に取った残忍な態度である。
おっさんも、いい加減うんざりしていた時期に、相手にそのような「条件付きの愛」を提示され、即黙って連絡先をブロックしたことがある。
共感を通じてこういう関係になるのだとしたら、共感など害悪でしかない。
次回に続く