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窓際のおっさん79 「おしゃれめさるな」オフィスで見た目を先鋭化させる女性に思うこと(4/4)

 前回は、「おしゃれめさるな」とは別に僻みや意地悪で言っていることではなく、もっと意味のある努力をしましょうよという意味である旨について述べた。また、海外では色々な理由から、むしろそこまでおしゃれにこだわっていないことについても述べた。
 最終回の今回は、魅力を押さえた方がむしろいいという話、先鋭化の果てに知らず知らずのうちにルッキズムに陥っている可能性、そして、差別は良くないよねという単純解釈で終わらず、ルッキズムへの本質的な理解をすべしとの意見を述べ、締めくくりたい。

<おしゃれか生産性か>


 前回も述べたが、この手の批判をすると、表現の自由だとか、僻みやっかみお断りだとか、むしろそっちが女性差別だなどと、尤もらしいことを言って反撃されがちである。

 だが気持ち悪いおっさんに、スケベな目で舐めまわされても尚、そう思うのだろうか? それはスケベな目で見るオヤジが悪いのだと言ってしまえば、もう議論にすらならないが、女性同士でおしゃれ合戦しながら牽制しあい、喜ぶのはスケベオヤジだけ。一体あんたら何がしたいんだよとおっさんは思ってしまう。

 仏教の話をしよう。釈迦が、煩悩に悩む弟子に対し「女人」をあえて「糞袋」と認識せよと説いた話をご存じだろうか。
 これは二つの意味におっさんは捉えている。一つは本当に文字通りに認識して煩悩を切り離せという意味。もう一つは女人など所詮糞袋だという釈迦自身の達観である。

 前半は現実的ではないが、男性各々がある程度意識する意味は多少ある。後半については、外見を磨いても所詮は糞袋、女性よ糞袋で良いのか、というアイロニーではなかろうか。

 それでも外見ばかり磨くのか。男を惑わす糞袋でたまるかと、もっと生産的な生き方にシフトするのか。どちらが良いだろうか。やはり「糞袋よ、おしゃれめさるな」であろう。

<見た目差別より、見た目の意味とコントロールが大事では?>


 さて、おしゃれめさるなとは少し話が逸れるが、述べてきたように、女性がオヤジを醜い、キモイと称する風潮は未だ根強い。
 おっさん(著者)などはとっくに、異形の怪物で良いと達観しているので別に構わないが、いくら優しいおっさん達相手でも、見た目を先鋭化させた挙句、無暗に容姿の許容度を下げる昨今の風潮は、それ自体明らかなルッキズムに陥っているのではないか? 

 誤解のないように言っておくが、ルッキズムがコンプラ上良くないとか、おっさん(著者)個人が差別を受けてけしからん等と言うつもりはない。
 だが、昨今のルッキズムは、本質として「見た目をどう捉えて扱うか」への考察が浅いのではと思う。

 つまり言いたいのは、大事なのは、美しいか醜いかの両極の感情論ではなく、見た目を分析し、適切に調整することではなかろうかということである。

 過剰なオシャレはトラブルの元と述べてきたが、例えば、特別見た目を商売としているわけではないのに、見た目ばかりにフォーカスしてしまうと、要らぬコンプレックスや依存につながるように思う。

 見た目は一要素に過ぎない。また、俯瞰すれば見た目は無闇に磨くのではなく、適切に取扱い、調整するものとも捉えられる筈だ。さすれば見た目がいい悪いの話ではなく、どう利用するか、どう隠すか、どう補うかにフォーカスでき、結果、見た目第一のルッキズむに陥ることを防げると思う。

<なぜこんなにルッキズムが蔓延しているのか>


 逆にそうした本質を知らなければ迷走するばかりである。
 迷走する様子を列挙すると以下のようなものがある。

 ① 他の女性と比べ続けてしまい、劣等感と先鋭化を招く。結果おしゃればっかりの人生になってしまう。
 ② エロい目で見られたくない相手にまで、見た目で過剰に煽る羽目になって、面倒臭い人生になってしまう。
 ③ それでもオシャレを続けると、今度はアイデンティティになってしまい、オシャレに依存してしまう(美容オタク化)。
 ④ 総合事務とあえて述べたが、かくもスキルや専門性を磨く時間や労力までオシャレに費やす、本末転倒な頑張りに走る羽目になる
 ⑤ すごく綺麗になったとしても、ある意味整った女性は近寄りがたくもあり、そうでない他者から劣等感を抱かれるなど、付き合いずらい存在にもなる

 やっていることはキモオタと同じだと言えば目が覚めるだろうか?

 この①〜⑤はオタクの先鋭化、被差別者の差別主義者化の流れにも似ている。見た目が良いに越したことはないと単純に考えている人もいると思うが、その果てに、まさか自分がルッキズム(差別主義者)に陥っているなどと、自覚すらない可能性もある。

 見た目を磨く意味はどこにあるのか。他社比較による劣等感、オシャレに依存するアイデンティティといった、暗く乾いた内面に起因するならば危うい。相手を不快にさせないための身だしなみという本質と、矛盾するものにすらなっていく。

 日本女性はオシャレすぎるのだ。その裏にはもしかしたら暗い内面があるのではなかろうか? ならば見ていてい辛いし、付き合いづらくもある。もう良い加減そこいらで打ち切って良くないだろうか。

 かくも自分なりに考え、美も醜もある意味同列に扱い、意図的に調整して活用するぐらいの考えを持った女性は出てこないものだろうか。
 今はあまりにも無自覚に、ルッキズムが浸透していて、男も女もブサイクも美人も、互いに罵り合ってみんなで生き辛くなっているように思う。

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