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彷徨うおっさん165 キラキラした女子なんてもうやめちまえ(後編)
前回は、またまた選挙関連で、半ば個人が人格否定にあっている状況が発生していて、つくづく政治というものは悪魔の領域であるなと頭を抱えたという話を冒頭でした。
別に両者を政治や選挙において肯定も否定もするつもりはなく、やはりこうなったか(騒動は終わらぬか)と、民意を含めてうんざりしているところである。
そして、その中で「キラキラ系企業女子」という言葉が出てきて、本件とはまた別のおっさんの体験から、そのキラキラした生き方は如何なものかと、
① 輝いていることを肯定することの良し悪し
② 輝きと荒みが対を成してうねるSNS
これらについて、持論を述べてきた。
後半の今回はその続きとして、キラキラの奴隷となった人の有様と、もうキラキラなんて辞めないかというメッセージを述べて締めくくりたい。
■ キラキラの奴隷たち
インスタのキラキラした画像が流れるたびに、己も周囲も、どんどん思考力と判断力が鈍るように思う。
基本は写真を見て
「あ、可愛い~!」「キレイ~!」「ステキ~!」「スゴーイ!」
これだけの世界である
そしてそれらの言葉をどれほど閲覧者から引き出せるかを競うゲームになっている。なんとも非生産的だ。
世の中の汚い者には蓋をしたくなる。おっさんだって昨今政治を追っかけてヘトヘトに草臥れたのでそれはよくわかる。だが、だからといってインスタの単純化・自動化されたキラキラ合戦にもまた、脳が老化するような感覚を抱く。
例えば10年前に20代前半だった女性が、30代に入ってもまだ、ミニーちゃんの被り物を被って、お菓子の城の前でダブルピース。
そこに群がる「いいね!いいね!いいね!」の嵐などという後継も珍しくない。
大人とは何か、承認欲求ばかりでは進歩があるまいといつも思ってしまう。
もし彼女のような人が、ある程度の歳なりタイミングで、キラキラ合戦から脱し、清濁併せ吞む世界へと足を踏み出すことができたなら、少しは昨今の扇動政治家やマスゴミに対処できると思うのだが。。。
今日も相変わらず、難しいことは他人任せで、自分の綺麗な面ばかりを世間に表明し、承認されることに躍起になっている。キラキラキラキラ言われながら。
その生き方は、年を経れば経る程大変になってくるのではないだろうか?
■ キラキラした女子なんてもうやめちまえ
男性にも居ないことはないが、自らの顔が入ったキラキラ写真をばら撒き、人気取り、キラキラ合戦に奔走する女性は多い。
承認欲求もあるだろうが、それ以上にみんながキラキラで同質性を追求する「共感」の作用も相まって、可愛いとか、綺麗とか言い続けないと保てない人間関係もまた蔓延しているように思う。
折角、見た目ではなく内面が評価される下地ができ始め、共感ではなく自分らしさを保てる世界になってきているのに、世の中は一向に、のびのびとした雰囲気が広がらない。
やはりこの息苦しさは、一つはキラキラ合戦の応酬と、それに伴う思考放棄、判断力低下、そしてその先にある停滞と、誤った選択の連続によって生じているようにも思う。もう辞めにしたらどうだろうか。
最初の兵庫県の話に戻るが、今回揶揄された社長も、所謂キラキラ系であったとされており、故にこのような事態になって非常に辛いのではないかと思う。
別に同情しているわけでも擁護しているわけでもないが、キラキラ合戦、思考放棄、判断力低下の末路が今回の事態につながったとのだとしたら。。。