窓際のおっさん81 挨拶について(後編) 挨拶指導でマウンティング? それでも大事な挨拶について考えたい
前回は、近年の社会システムの劣化によって、挨拶指導がままならなくなってきた現状について述べた。また、それでもAIなど技術的な解決策ができ始めているので、理想論ではあるが、早めにそうした技術を導入して、接遇教育に役立てられないものかと思うところも述べた。
後半の今回は、前回の冒頭で述べた挨拶指導がやりづらい理由①〜③のうち、残りの③である「旧世代に植え付けられた、自身のトラウマ」についておっさんの体験を話し、それでもなんとかしたい想いについて述べ、締めくくりたい。
<昔は、挨拶など態度に関する苦言でマウンティングする輩が多くいた>
述べたとおり、世の中は機能していないが、一方でテクノロジーの光明は指し始めているように思う。だが直近で一番深刻なのは、指導的立場の世代に残る闇、③の存在であるとおっさんは思っている。
おっさんの体験を話す。
就職して5、6年ぐらいの時「きちんと挨拶しろ」と、突然先輩社員に詰められたことがある。おっさんは若かりし頃、真面目で礼儀作法もきちんとしていた方であり、接遇研修でも優秀と言われた程である(自慢にもならないが)。それなのに、30過ぎて突然そんなことを言われて面食らったことがある。
言った相手は「お早うございます」もまともに言えない、40過ぎのチンピラ社員で、挨拶のタイミングすら掴ませない曲者だった。周囲もその怖さや面倒くささに委縮しつつ、そいつと一緒になっておっさんに対して「態度が悪い」とか「仕事ができても挨拶がきちんとしていないと勿体ない」とか、謂れのない説教をするようになってきた。
その他のモラハラも含めて、いよいよ仕事に支障が出てきたため、遂におっさんは正面切って喧嘩し、最終的には5対1(おっさんが1)でガリガリ争い、社の局長級まで引っ張り出して糾弾し、大問題になっ他挙句、おっさん含めて数人が左遷される事件になった。
おっさんのこの話は極端ではあるが。。。
かくも挨拶指導は、不当な文句という形で、一昔前は後輩へのマウンティングの常套手段だったように思う。
読了のおっさんでもレビューしたが、漫画「ザ・ファブル」にて。15年服役した後に出所したヤクザが、組の後輩に対して「目上の人間に対する態度や挨拶」について、どうこう言っているシーンがあった。完全に当時のデジャビューであった。
15年浦島太郎だとすると、挨拶指導もそういうものだと周囲も疑いが無い上、それを良いことに部下後輩へのマウントを取るのもリアルだった。
ましてヤクザなど暴力の世界であれば「態度の指摘」こそが唯一のマウンティング要素になる人も珍しくはないだろうと納得したものである。
かくもそんな価値観の人が一定数いた時代を、若い身空で過ごしたからこそ、挨拶の指導はおっさんにとってトラウマになっている。
おっさんと同世代以上の年齢の人は、おっさんと同じような経験をした人も多いと思うが、かくもそんな経験も相まって、今現役で指導する立場にある人達は、挨拶指導への躊躇、そして挨拶指導の正解が見えない現状に思う。
<それでも挨拶は人間関係の基本>
だが、人と人が関わる中で、第一声となる挨拶は重要である。挨拶における礼儀や言葉遣いが感覚的に分かっていれば、自然とその後に続く様々な会話も、滑らかで当たりが心地よいものになっていくように思う。
AIの発展を待つのも一つの手だが、なんとか挨拶のあるべき姿について、もっと幅広い世代で気軽に共有し、一番気持ちのいい接し方は何処にあるのか、スムーズに模索できないものだろうか。
例えばラジオ番組的な雰囲気の中で、何人かと役割を決めてやってみたいような課題だ。