彷徨うおっさん84 満点主義の日本(3/7) どうでもいい仕事を誇るために作られた満点主義的口実
前回は、お勉強における満点主義について、満点を取る意味は限られており、満点を狙う方向になるにしても、目的や段階があって、大抵の目的の範囲では、むしろむなしさや辛さの方が多いであろうことを述べた。
今回は再び、仕事における満点主義について、述べたい。
<仕事における満点主義>
さて、そのむなしい世の中の満点主義についてだが、主に仕事の話になると思う。会社に所属すると、大概はお客様のため、上司のためといった理由付けをされつつ、意味のない仕事をさせられることになる。
直接的に実績を誇れるような仕事はそれほど多くはないにもかかわらず皆が皆忙しそうにしているのは、所謂、ブルシットジョブと呼ばれるそれらの仕事のせいであり、現状はほとんどの人が、さも働いている感じ、働いている態度を醸すことに、一定の必要性を感じて奔走しているように思う。
食うためには、無駄と知りつつも、正面切って無駄だと言うわけにもいかない。また、きちんと完璧に仕上げることが正しいと思い込んでいて、無駄という発想すらない人も中にはいる。
こうした価値観の中で、役に立とうとする想いは空回りする方向に向かい、書類などの枝葉末節を複雑化、高度化するモチベーションになる。
本当はそんなことで優劣付けること自体おかしな話なのだが、現行の人事評価としてはその辺で優劣を論ずるほかなく、仕事は、事務仕事の処理速度と処理精度を限りなく競うといった先鋭化に走り、その中で各員は、ふるい落とされまいとして満点主義へと帰結しているように思う。
どうにもこの風潮は人を不幸にするばかりに思う。
無論、ミスを全部許容せよとまではいわない。
おっさんはミスが多いが、どうでもいいところはオミットする一方で、致命的なミスは犯してはならないと考えだ。
例えば人命に係ること、大きな財産の損失を無考えの果てや感情による判断ミスで行うこと、つまらないことで大切な仲間を追い詰めてつぶすこと、発言内容がブレブレだったり嘘八百口八丁で信頼を無くすこと。。。こうした「重要な仕事」でのミスは当然好ましくないと思っている。
具体的には車両の運転、機械操作、保護具の着用、人材育成と後進への対応、モンスタークレーマーへの毅然とした態度などは、今もかなりの熱量をもって大真面目に取り組んでいる。
だが、近年問題になっている「ブルシットジョブ」を、それらと並べて重要だと嘯き、或いは正当化している人がまだまだ多いため、満点主義はなかなか無くならないように思う。例えば以下のように正当化して。。。
「小さなミスの積み重ねが大きなミスを呼ぶ」
「どんな仕事でも仕事は仕事だ」
「普段の気のゆるみが大惨事につながる」
「事務処理ミスが多いと信頼されない」
現状では分かる話だが、本来はあえてみんなで、例えば以下のように否定していかなければならないのではないか?
「小さなミスの予防にリソースを割いていると、重要な場面でリソースが不足する」
「仕事は選べ、無駄を拒否して省くことも立派な仕事だ」
「メリハリを設けるからこそ、余裕のある対応ができるものだ」
「根本的に無駄な作業や機械にやらせるべきことを人にやらせて、それで平気でいる組織こそ将来性という信頼性がない」
現在我が国は、大きな組織である程「重要な仕事」はそもそも誰もやりたがらず、ブルシットジョブに逃げた挙句、精度と速度ばかり競ってランキングを決しているように思う。
それは誤りであるのだが、「最高の仕事をする」「トップを目指す」「信頼を獲得する」といった嘘の言葉と共に、満点主義的なブルシットジョブの増大と先鋭化が止まっていないように思う。
新規事業や新規顧客など、利益に結び付く開拓をする人の仕事は粗削りであることは珍しくない。満点主義的発想は、その成果を批判するために悪用されている面すらあると思う。
新しいことをしたり、新しい文化風習の相手と交わる際は、いろいろ試しつつ、おおらかに受け入れる方向でなければならない事も多い。
だが満点主義者はゼロリスク思考で、それらのチャレンジを挫き、許容を狭め、足を引っ張ってくる。
例えば、プラットフォームの違いや、立証が不十分な事象への指摘で、ルール通りではない、判断をミスしたなどと大騒ぎする。
ルールばかり見て、その枠組みの中でせかせかと競うように処理速度を上げたり、精度よく精度よくと考えて行動しようとしても、内輪の椅子取りゲームだけで終わってしまうことになかなか気が付かないのである。
いや、むしろみんなが座れる分の椅子を他所から持ってこいよと。。。
<一度満点主義を捨てて、学生の頃のお勉強のスタンスに戻ればいいと思う>
最初は大雑把な模索や把握から始まり、満点は狙わず、合理的に得点しやすい場所から得て行く。サクサク得点できれば、満点でなくとも良い。
特に役所などにいると、毎日がブルシットジョブであり、早晩生ける死体となる人ばかり増えていると肌で感じる。仕事の満点主義について、もう少し脱却の方向に向かないものかと、日々思う所である。
次回に続く