彷徨うおっさん143 未熟なアイデンティティ(7/7) 客観視と謙虚さ いるだけでいい人になる
前回は、結局健全なアイデンティティの確立に何が必要か、おっさんの私見として、
① 会社と家庭以外にも複数のコミュニティを持つ
② 特技や収入源を複数持つ
③ 複数のロールモデルを探す
④ 一本鎗で生きるにしても、客観視とサポートの必要性を重視する
の4つを挙げ、そのうち②、③についてし詳述した。
最終回の今回は、④について述べ、総合して、どんな人とも、大人としてどう接したら良いか、上手に生きる奥義について私見を述べ締めくくりたい。
<④ 一本鎗で生きるにしても、客観視とサポートの必要性を重視する>
①~③は、全部人として幅広くあることを推奨してきたが、結局「自分はこれ一本で」と考えているという人も居るだろう。また、あれもこれも、やってみたところで意欲もなければ、上手にもなれないという人も居ると思う。
そういった人達はもうだめなのかというとそうでもないと思う。一本で生きる人や、あまり取り柄がないという人達は、客観視と、サポートの必要性だけは少なくとも意識できていれば良いと思う。
客観視とは、俯瞰する事。一歩引いて自分を含めた全体がどうなっているかを意識して見ることである。
何もなくても、或いは一本鎗しか持っていなくても、全体の中で自分がどう映っており、何に作用すれば良いかを認識することが、独善性を排除し、しなやかで洗練されたアイデンティティになり得ると思う。
①~③のように、複数の価値や能力を所有し、状況によって器用に形を変えるのではなく、複数の価値や能力の中にあって自分がフィットする箇所が何処かを大局で見極めるのである。
我慢することや譲ることは苦手でも、静かに速やかに撤退し、別の場所で満足を求めることが出来れば、それもまた、健全なアイデンティティになり得ると思う。
自分の役割と限界が分かれば、正統性を主張して自己防衛する必要もなく、謙虚で穏やかになれるように思う。
これは繰り返すが、一本の槍すら持っていない人にもできる、究極の大人の対応であるように思う。
また、これができれば、善意のサポートを受けられるようになる。
善意のサポートを受ければ善意のサポートの有難みや大切さも分かる。
だから一本鎗でも、何もなくても、社会において少なくとも一定の善意の発揮だけなら、定常的にできるような人間にはなれる。
結果、それが健全なアイデンティティになる。
<客観視による謙虚さの獲得がアイデンティティ確立の奥義か>
一番最初の話に戻るが、殆どの人にとってはどうでもいい事なのに、激しい感情を発露し、仲間と喧嘩別れしてしまうような人はどうしてもいる。
そんな人が相手であれ、自分自身であれ、それでも社会ではうまく付き合っていかなければならないこともある。あるいはうまく付き合ったほうがいい場合もあると思う。
そんなの無理と思うかもしれないが、相手が離れていかないうちならば、なんとか関係構築は可能と思う。
だがそんな難題には、①~③だけでは厳しい。経験を重ねて器用にすり合わせることは、大人同士ならうまく行くが、本当に脆い人、とんでもない価値観の人にはそれでは通用しない。
そんな困った人を含め、殆ど誰とでもなんとかなるというレベルになるとすれば、やはり④が外せないように思う。
アイデンティティは自分自身の存在意義であるが、それは当然、社会全体、他者との間でという要素が無視できない。そこに立ち返れば、結局は些末なすり合わせではなく、客観視と謙虚さが究極的には必要とおっさんは結論付ける。
④の詳述でも述べたが、定常的に善意を発揮する事だけなら、どんな人にもできる。その発揮を自他に促すために、俯瞰し、独善性を消し、限界を認め、謙虚に徹することである。
これは、感じの良い高齢者によくみられる性質ではないだろうか。
高齢になると体の自由が利かなくなる。頭も回らなくなる。でも、弁えてもらえると周囲と摩擦は起きないし、若い人もサポートを無理なく可能な範囲できるというものである。そして本人は謙虚に感謝してニコニコしつつ、できる範囲のサポートで返せばいい。
これは単純に言い換えて「そこにいるだけでいい」というタイプの人種である。
これが正に、究極のアイデンティティの確立ではないだろうか。
自分はどうにも人に合わせるのが苦手。結局誰とも考えていることが合わない。選んだ生き方の関係で、擦り合わせる技術は馴染まない。そんな人でも、そこにいるだけで良いと言われるようになれれば、ハンデにはならないだろう。
かなりの理想論であるし、全員に好かれるのは無理でも、目指すべき奥義として意識すると良いと思う。
7回に渡り長く論考を述べてきたが、結局のところ、種々の方法でアイデンティティを健全に確立すれば、社会におけるそれぞれの役割を、各々が穏やかに全うできるようになると思う。
長文にお付き合いいただき感謝。急な人間関係のトラブルに巻き込まれた際、本稿を思い出し、読者が事態を俯瞰し、冷静に向き合えれば幸いである。