彷徨うおっさん135 電話という感情労働(3/4) 衰退する電話 電話のデメリット
前回は、マウントを取る人が長電話する心理について、おっさんの思う所(分析)を述べた。
また、苦情系の長電話について、コロナの折、保健所でアルバイト対応をしたおっさんの体験談を暴露した。
今回は、その続きとして、苦情系の長電話の心理についてと、電話の良くない点、電話窓口の衰退について述べたい。
<苦情系長電話の心理>
職場のマウント系とは目的がやや違うが、結局は、
① 口頭で感情を乗せて訴え、結果、特別扱いされたい。
② 直接会話することで、なんとか気持ちの整理を付けたい。
③ 自分は偉いんだ、賢いんだ、重要なんだと、相手を攻撃して実感したい。
という具合に、やはり理性的とは言い難いところがある。
無論、我が子を守るために何とかワクチンを早めに打たせたいという気持ち、
一度症状が出た時の不安な気持ちたるや、切実で深刻であることは承知している。
が、個人商店ならともかく、アニュアル化された国家事業に対して、電話をしたところで根本的にはどうにもならない。
むしろ回線がパンクしてしまい、かえって必要な人に必要な案内が出来ず迷惑ですらある。
こう言う人達は、長電話で仕事できますアピールをしている輩同様に、視野狭窄であるとおっさんは思う。
また、所謂反ワクチンの過激派といった雰囲気で、ワクチンについての見解を相談窓口のアルバイトにしてしまったり、大声で「高卒」「無能」などと決めつけて文句を言う輩は、筋違いであるし、コンプラ違反でもある。
どちらにしても結局は「聞いて欲しい」「認めて欲しい」といった想い一つで、迷惑をかけているように思う。
<近年は電話の良くないところばかりが目立つ>
二つの体験について紹介し、考察してきたが、
やはり電話とは近年、情報伝達ツールではなく、情に訴える手段に成り下がっているように思う。
その裏には、
状況把握と説明に時間がかかり、そのために相手に向き合わざるを得ない電話特有のスタイル
が、関わっているように思う。このスタイルのせいで、
① 電話を受けた人に強制的に善意を発揮させる傾向がある
② ダラダラと時間がかかるから、一見してちゃんとやっているように見える
→ 職場ならば仕事してますアピール、苦情する側からすると特別扱いされた感
これらがどうしても生じてしまい、受ける側の消耗は甚大でもある。加えて、録音は出来るものの、予め用意せねばならず、結果、文字よりは残される確率は低く、言った言わないの押し問答に持ち込むことも可能という点があり、末端で、音声だけで証拠が残らないようにし、個人が個人をいじめる手段としてしまう問題がある。
また、閉じられた世界で「ここだけの話」にして、責任を取らずに逃げてしまうパターンにも使われる。
職場などで、発信者が特定できているならまだしも、急に特命の何者かから、ものすごい苦情が一方的にかかってくるケースもある。そこに、現代の洗練されたモラルは入り込む余地が無い。
問題者ほど長電話を好むのは、やはり、特別扱いされたい想いや、自分が傷つかない場所から言いたい放題したいという卑劣さ、一方で責任を逃れたい姑息さにあるのかもしれない。
<電話窓口の衰退と消滅>
そうなると、事業運営側からしても、コストが掛かりすぎる上に、従業員の消耗も激しくて避けたいものになってくる。
実際に電話を廃止している企業も増えており、会社で電話を避ける若い人の判断はある意味正しいのかもしれない。
https://symphonict.nesic.co.jp/workingstyle/canario/response/repeal/
このようなデータを見ると、1回1回に係る時間的コストも大きいが、例えば繰り返すが、オープンにして罪を問うて構わないような酷い苦情も、電話だと「ここだけの話」に終わってしまって証拠も残りづらいため、職場モラルが崩壊し、割に合わないと考える人、離職者も増えるのではないだろうか。
故に電話窓口を置いたことによって、運営側の損害ばかりが拡大し、肝心の業務が阻害されることが多々あると思う。
ワクチン接種の案内などは、公共事業であり、情報にアクセスできない人をゼロに近づけなければいけない事情から、電話窓口の設置はやむを得ないのかもしれない。
だが一方で、不要不急で小さなサービスに近づく程、リスクを天秤にかけると電話は不要な時代になってきたと思う。
色々な店舗の予約も、今やほとんどが電話なしのネット対応で、その分仕事に集中できている。信頼のために代表番号1つぐらいは欲しいという考えは未だに根強いものの、近年であれば、例えば公式HP、有名アカウントのSNS+公表された住所なり国家資格を持った本名の掲載があれば、昔電話で補えた程度の信頼は、それほど気にならないのではないだろうか。