彷徨うおっさん161 若い人は何故啓蒙書が好きなのか(4/6)
前回述べた、筆者が思う啓蒙書の欠点3点
① 可能性のみを前面に出している
② 事実としての成功体験を語っている
③ 悩みや苦しみといった暗く乾いた気持ちを明るく前向きにする
■ ③ 悩みや苦しみといった暗く乾いた気持ちを明るく前向きにする 続き
悩み多く、苦労し、冷静に地味に生きることは本当は悪い事ではない。無理してポジティブに振舞ったり、啓蒙書を振りかざして自己肯定しすぎた挙句、多大な犠牲や、反動としての負の精神を自身や周囲に抱かせる。そんな不自然な前向きさは好ましくはない。
啓蒙書の著者、または編集者、出版社がどこまで考えているのか分からないが、本当はそこまで考えて筆を取った方が良いように思う。
こうした前向きさが持つ弊害もまた、近年の啓蒙書が抱える問題ではないだろうか。
■ それでも若い人は啓蒙書を求める なぜか?
啓蒙書の欠点について持論を述べてきたが、これらの問題をある程度意識したとしても、やはり若者は啓蒙書にばかり殺到するように思う。
啓蒙書が持つ希望や特殊な熱気以外にも、恐らく以下の要因が現代にはある。
① 若いので人生経験の不足を補いたい
② 世の中の加速と、求められる合理化
③「いいねの数」という新時代の価値の台頭
■ ① 若いので人生経験の不足を補いたい
どの時代でも「早く大人になりたい」と考える人は一定数居た。近年は高齢化社会であり、若者の権限や意思決定の範囲は恐らく他の時代と比べて小さいため、一面、早く大人になりたい要求はあるのではなかろうか。
また、疾病や怪我、災害、戦争と言った物理的な脅威も、テクノロジーの進歩によって大幅に薄れている。同時にパワハラの撲滅や、男女間の在り方といった足元での倫理観も発展し、相対的に「暗く乾いた想い」をする若者が減ってきているように思う。
無論この見方も一面的であり、若者や女性の貧困、国家そのものの衰退など、別側面の問題は拡大しつつあるが、今時点においては、重たい通過儀礼を体験し、早期成熟に至った若者の数は昔よりも減っているように思う。
これらの背景から、特に本を読もうなどと考える意識の高い若い人は、新しい経験や知見を求めて啓蒙書に飛びつくのではないだろうか。啓蒙書でなくとも、小説や論文であっても、人生経験の肥やしになるものだが、恐らくその段階(それらを読み解く知識と経験が熟成する)に至る前に、今の若い人は年齢的に大人になってしまっている。そのため、手っ取り早く、誰かの成功体験や、生き方の模倣をしたがるのではなかろうか。
しかもできれば、なるべく気持ちを明るく保てる、苦しくない方法によって。
■ ② 世の中の加速と、求められる合理化
こうした現代の若者の持つ背景と同時に、情報化と経済などの競争の激化の問題もあると考える。つまり総じて世の中の動きが速すぎ、経済性で語ることが多くなったのではなかろうか。
こうなってくると、地道で時間のかかる手段を選ぼうとすると、成功者に出し抜かれてしまい、経済的にも溝を開けられてしまう。流れに置いていかれれば、生き方そのものを変えなければにっちもさっちもいかなくなり、結果としてお手軽に素早く経験を積める(積んだ気になれる)啓蒙書に若者は注目するのかもしれない。
啓蒙書は理論や経験よりもメソッドを強調して書かれていることが多いのも、このニーズに合致するのではないだろうか。枝葉末節の本質的に役に立つかは分からないメソッドでも、取敢えず手元に揃えて実践し、それをSNSやオフ会で「アウトプット」して見せれば、一目置いてもらえるし評価も自己肯定感も上がる。
合理的に考えれば非常に魅力的な書物であり、メソッドと言う事になるのではなかろうか。
次回に続く