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彷徨うおっさん85 満点主義の日本(4/7) 満点が不可能と分かっている筈の人間関係も満点主義
前回は仕事における満点主義について、ブルシットジョブで功を誇る様々な口実や、逆に意義のある仕事の価値を相対的に貶すために、満点主義的な思想が利用されている可能性について述べた。
今回は、人間関係における満点主義について述べ、何故日本は満点主義なのかについて、踏み込んで考察していきたい。
<人間関係における満点主義>
自分の考えや、意思を訴えて、何もかもそれが相手に伝わるかというとかなり難しいように思う。
軍隊的な組織であれば、某北の国のマスゲームのように、物理的面で統制を取ることは可能かもしれない。
だが、心的価値観の部分、さらには熱量や裏打ちとなる背景まで一致を試みると、ほぼ不可能なのではないだろうか。
にもかかわらず「共感」「共感」と最近は声高に叫び、相手に思想面、心情面でも一緒であることを望む人が、最近は多いように思う。人間関係もまた満点主義に陥ってきている。
偏見と言われるのを覚悟で言うが、この傾向は女性が、恋愛や夫婦関係において、相手男性に対して発動する性質のように思う。
昔から女性とは、男性よりも共感を大事にする生き物であったのかというと、おっさんはそんなことはないと思っていて、妙な思想をばら撒いたメディアや、自称アナリスト的な人の怨念やご都合主義の影響が大きいように思っている。
話がやや逸れたが、例えば「女性には共感が必要で、男性は共感力の面で劣っている」かのような暴論で語られる現状で、やれ年収だ、居心地の良さだ、レディーファーストだと。。。女性が男性に満点を求める現象が起こっているように思う。
終いには共感力を理由にして、あれもこれも察して欲しい、分かって欲しい、そうでなければ怒っちゃうという女性なども、近年は異様に増加してしまったように思う。
人間関係こそ満点なんて程遠いものだ。
にもかかわらずこうも完全に満点主義に陥っている。
100点満点中、20点の相手とでも、一緒に仕事をしなければならないのが現実の世界なのに。。。
女性批判ばかりして恐縮だが、例えば嫌われる上司も、部下に対して似たような性質を放つ事がある。モンスタークレーマーなどもそうではなかろうか。
うまく行かないと怒ったり、能力が低いと罵ったり、逆に自分が減点されそうな要素は全力でごまかしたり。。。
パートナーにせよ、部下にせよ、他人は自分の想いとは別のところにいる存在である。
むしろ異様に一致している状態の方が、違和感や戦慄を覚えるようでないとおかしい。
自分の意見が通ったのだとすれば、相手が相当合わせてくれた可能性があると、気が付けないようではどうしようもない。
満点主義者は、人間関係において相手に満点を要求する。
それは前回述べた、仕事における満点主義の横行も一つの原因であるかもしれないが、その前提からおかしいのだと俯瞰できれば、相手と自分との食い違いや不足にも、多少は冷静に向き合えるように思う。
<なぜ日本は満点主義なのか>
日本が満点主義に陥っている原因は無数にあると思うが、考えていていくつか気になったものを挙げてみたい。
① 敗戦~経済成長という流れの中で先鋭化した古い考え
1940年代後半の戦後から、劇的な経済成長という一時のブーム(成功)によって、単純な工業生産性の向上に基づく、経済的成長のビジョンを実現させることが、最良であると、多くの人が信じ切ってしまった。結果、国民全体が未だにその考えに引っ張られているように思う。
そんなビジョンなどとっくの昔に色あせたものであるとほとんどん人が分かっているのだが、かといって長きにわたって追いかけた上に、分かりやすく目に見える満点らしきものでもあるので、気が付くとモデルから抜け出せていない状況なのではないかと思う。
現在の内閣が、かつての国民皆総中流の時代の再現を説いているという現実に見られるように、新しい答えを見つけられていないように思う。昔に戻ったとして、それで幸せになれるのだろうか。恐らく経済は行き詰っている。にもかかわらず成長成長と考えている限り、古いやり方を「先鋭化」させる方向にしか舵が切れず、結果、人間離れした精度と速度を追求する、満点主義になっていくように思う。
次回に続く