窓際のおっさん44 仕事は辛くも楽しくもない(2/7) 仕事を楽しめるかどうかも個性に過ぎない
前回は「仕事は楽しむべし」と豪語する経営者の言が、多くの人にとっては無理がある考えであるし、そこを目指してしまうと危ういのではという事を述べてきた。今回はその続きと、仕事を楽しめるかどうかも個性に過ぎず、その本質的な理由述べていきたい。
<前回の続き>
また「仕事は楽しむもの」と普段豪語する人の経営する会社を見ると、その部下にあたるスタッフが、どう転んでも楽しくないであろう庶務事務などに忙殺されていたりする。
こう見ると結局、誰かが否応もなく、楽しくないことを負担して、現代世界が成り立っていると結論せざるを得ない状況だ。
仕事を楽しむという生き方は、選ばれた人の選ばれた道であり、万人にオススメの思想ではないのは自明の理である。
また、結局チームの誰かがつまらない仕事をすることになるならば、所詮は独りよがりな楽しさとも言える。
「仕事は楽しむもの」と信じて疑わない経営者は、従業員の苦労や忍耐すら、下に見るか否定するかになってしまいがちである。
こうなると、主従以上の心理的壁もクッキリと見えてくる。単に従業員に仕事を与え、その成果に感謝して給与を払うという関係ならともかく、もっと主体的に動けなどと称して、「仕事は楽しめ」といった考えを強要しすぎることは、折角の組織集団の優位性すらも揺るがしかねない。
仕事を楽しめるならそれは個人にとってはひとまず幸福だとは思う。一方で、面倒臭さや汚れ仕事を引き受ける部下や取引先、それら全部ひっくるめて、成功者として「仕事は楽しむものだ」と吹聴して良しと出来るような心の構造を持った人も限られる。
実際にできるかどうか、また、その結果どう思うかは変えられないので、それだけで善悪決めつけるつもりはないが、人の有り様は多様なのだから、仕事を楽しむことが全ての人にとって最良と決めつけるのも誤りであるとおっさんは思う。
あくまで理想として、出来る範囲で試してみるのは良いと思うが、成功者の言うように、いきなりすべてを捨てて、良いなと思った仕事に飛び込んでいくという、愚かで大胆すぎる発想は危うい。
本心から、何を置いても耐え難いほどに駆られる、あるいは追い詰められた果てにやむを得ず選択したという以外は、成すべきではないと思う。
<そもそも仕事に楽しさを求められるのか?>
条件がそろったとしても、そもそも仕事を楽しめるかどうかは人それぞれの個性に過ぎない。前述の、ある種独りよがりな考えを是とするかどうかもそうだが、その他にも例えば、
① 好きだけど好きでいたいので仕事にはしたくない
② 顧客の笑顔といったモチベーションから得られる満足度には人によって温度差がある
③ そもそも仕事したくない、仕事は何処まで言っても仕事でしかない
④ 仕事とプライベートの垣根を分けるといったメリハリが、かえって幸福につながる人もいる
こうした色々な考え方がある。
理屈にせよ、感情にせよ、これら人間の多様な性質を頭から否定してしまうのはどうかしている。生きることは基本、ままならないことであると考えるのが普通であるし、決して誤りではないのだ。
以下に、詳細を述べていく。
① 好きだけど好きでいたいので仕事にはしたくない
例えば、華やかな芸能の世界。漫画やアニメなどのエンタメの世界。多くの人が楽しんでコンテンツを消費していると思う。一方で芸能人になる人や作家は、案外仕事として厳しい現実を見ることも珍しくないように思う。
例えば芸能人は、プライベートを暴露され、人気商売だから己を演じ続けるという人も居るだろう。売れっ子漫画家が多忙で短命なのはよく聞く話であるし、アニメーターが薄給であるという話もよく聞く。
本当に好きで、心からこれらの世界に飛び込みたいと考える人は、一ファンとは別の思考回路や業界愛を持っているようにも思う。
やはり、いくら好きでも消費者として関わることがいいと考える人が大半で、良い消費者であるために安定した収入と地位こそが、仕事自体の楽しさを差し置いて、就業における第一条件となったとしてもおかしくはない。現実問題、好きを仕事にすることで、好きなことができなくなるとしたら、こうしたコンテンツなどの熱狂的ファンは、当然に現状維持を選択するだろう。
次回に続く
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