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自身のばんえい競馬のルーツ

「若いのによく知ってるね。」
「ほんとに20代なの?」
「どうしてそんなに昔のこと知ってるの?」

たまにこんなことを言われる時がある。

無理もないだろう。自分が生まれてない時に活躍しているばん馬のことを知っているんだから。
口では何度かルーツについて話すことはあったが、書くことはなかったため頭の整理も兼ねてまとめていこうと思う。

正直なところはっきりとした原点はわからない。
ただ、どちらかではある。
北見競馬場か池田町にいたマツノコトブキか。
記録や物心から考えると北見競馬場にはなると思う。
その「記録」は1歳の時の1997年北見競馬場で6月に行われた北斗賞。この時に優勝したリキミドリと大河原騎手(現調教師)、服部調教師、担当厩務員と口取り写真を撮っている。
当時、口取りを一緒にできるイベント抽選があったらしくそれに当選したとのこと。

父に抱かれているのが自分

そもそも家族で競馬場に行くきっかけとしては母の仕事から。
自分がまだ生まれていない時に母は当時北見競馬場で会計処理の仕事をしており、父が競馬場がどのようなところか遊びも兼ねて行ったところ見事ばんえい競馬にハマったらしい。
北見競馬場の近くには小さな遊園地があり、家族連れがたくさん遊びに来る。
自分の家族はその小さな遊園地で遊んだ後に競馬場で競馬を観ることがほとんどであった。
それを当たり前として過ごしていたため、保育園や小学校の同級生と話す時に「馬みてきた?」と言っても「そんなところあるの?行かないよ。」と言われることがほとんどであった。

北見競馬場の思い出は色々ある。
パドックで父に肩車されながらばんば焼を食べ、「○番がいい〜」とか言いながら父が馬券を買ったり、5分前の音楽を聞きながら馬の遊具で遊んだり、スタートから1障害抜けるまで馬とどちらが速いかかけっこしたり。
当時は平場ファンファーレがすごい好きで家に帰ってからもよく口ずさんでた。
北見競馬場でみて覚えた活躍馬もたくさんいる。
アンローズ、サダエリコ、ウンカイ、ミサイルテンリュウ、ヨコハマボーイ、スーパーペガサス、トモエパワーなどなど。

父と母が2人とも口を合わせて言うのは「アサギリだけは忘れられない。」
それもそのはず「北見の鬼」と呼ばれていたのだから。
父だけに関して言えば馬券だと1993年北斗賞を勝ったキクコトブキの話。馬券はキクコトブキとアサギリの馬複を持っており、キクコトブキが第2障害でやや苦戦するも降りてから鋭い脚で歩いてきてアサギリを差したとのこと。このレースで10万円くらいの払い戻しがあったとたまに今でも嬉しそうに父は話す。
父は豊頃町の生産者と親戚であり、スズカゲなどの話などもしてくれる。ばんえい記念馬のキタノタイショウも生産されているところだ。複雑ではあるが先代同士のいざこざがあり父がまだ未成年の時に絶縁関係となってしまったらしい。
家の中での遊びでは1億円馬マルゼンバージの模倣をする「マルゼンバージごっこ」をしていた。
今思えばこの時点である意味英才教育だったのかもしれない。

続いてはマツノコトブキについて。
マツノコトブキは2歳の時から池田町で種牡馬として活躍。初年度からヒカルテンリユウを輩出するなど今でも多くの馬の血統に名を残している。
そんなマツノコトブキは祖母の家の近くにいた。
祖母の家に行くと農道の真っ直ぐな道があり散歩道にもなっていた。少し歩くと牧草が広がっている農家がありそこには母馬と仔馬がいてよく触りに行っていた。マツノコトブキは種牡馬のため遠目からはみることができたが、真近ではみたことない。
でも、祖母の家に行く度に通ってみてはいたため自分にとっては競走馬よりも身近に感じていた馬ではあったかもしれない。

以上のこともあり昔の馬のことを知っていたりする。ここからは空白の12年間について話そうと思う。2006年にばんえい競馬存続問題があり北見は廃止。そこからばんえい競馬との距離は一旦遠くなる。ばんえい競馬はみていなくても中学校の通学路にばん馬がいて辛かった時にはよく慰めてもらっていた。これは何故かわからないが、ばんえい競馬のことが少し気になっていたせいか新聞でばんえい競馬の売り上げはいつも目を通していた。
「なかなか1億いかないなー」とか「今日は1億いってる」と現在では考えられないことを気にかけていた。いくら空白とは言え、気にかけていたことを考えると当時はそんなこと思っていなかったけど今思えば「ばんえい競馬が好きだったんだな」ということなのかな。

北見廃止から12年の時を経て自分は社会人となり仕事を始める。
野球観戦は好きであったが、趣味と言えるような趣味がなく休日はぼんやり過ごすことが多かった。
ある日、父がいつものようにJRAの重賞レースの馬券を場外に買いに行くというので暇だったからついて行くことに。
場外に着きモニターをみるとばんえい競馬が放映されている。
心の中で「懐かしいなー、昔大好きだったよなー」と思いながら馬券を買ってみることに。
なんと初馬券で2000円程当たった。
ここがばんえい競馬との再会。
父にウンカイの名がたくさんあり「ウンカイすげーな」と思ったのが最初。
出馬表に目を通して行くと母の名にアンローズを発見。この時は思わず涙が出そうになった。
サダエリコの名前もみつけてなんだか昔に戻ったような気持ちになった。

馬券を買い始めて1年。能検をみてみたいと思い現地で観戦。出走名簿を購入。
自分が住んでいる北見市や隣町の訓子府町の馬の父名にフクノカミカゼが多いと印象を受けた。
その時にサロマタイショウをみて応援することとなる。
自宅に帰ってからフクノカミカゼについて少し調べると父が1億円馬フクイチ、祖父がマツノコトブキであり、ここから血統に対する興味がわいてきた。
調べていくうちに昔みていた馬の名前をみつけるとその度に鳥肌が立った。同時にわからないことがあると父に聞き、父も昔のことを覚えており「この馬はこんな馬でな〜」と教えてくれた。
そんなことがあり現在、自分がばん馬の血統について勉強したり考えたりする機会があるのかもしれない。

これらを口で話すとなると大雑把にまとめがちになるが、実際に書いてみると意外に長くなった。
もっとシンプルにまとまると思ってたけど全然そんなこともなかった。
ただ人からは「どおりでわかるわけだ。」「それはまわりに恵まれてるよ。」などと言われる。
ほんとに恵まれてると思う。
別にひけらかすつもりはないが、牧場を見学する時もこれらの話をネタにすることで盛り上がったりもする。
ただ同時に自分が今持っている知識やネタを後世にも継いでいかなければならないとは感じている。
そのために方法の1つとしてSNS等での発信は大事になってくると思う。
発信の仕方にも意識をしながら伝わりやすいように伝えていきたい。

これからもルーツを大事にして原点、初心にかえりながらわからないことを学び、ばんえい競馬の魅力も伝えていきたい。

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