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51試合の2009年
この年は51試合もありました。
42試合でも多いって言ってるのに+9試合。
見てるこっちは楽しいけど、やってた選手には頭が下がります。
仙台、セレッソ、湘南の4チームで3つの昇格枠を争った。あの時のハラハラドキドキ感は今でも忘れられない。
勝ち点1の重みを味わったシーズンでもありましたね。
開幕戦アウェイ岡山初の長距離アウェイ遠征。
ドコモの懸賞が当たり一泊ニ日で岡山へ。
親父と2人のバスツ
2008 甘くなかったJ2
3年ぶりのJ2。「絶対に一年でJ1に帰る」落ちたら必ず出てくるこの言葉。
もちろん自分もそのつもりだった。
去年までJ1だったし普通にやれば上がれるっしょ。恥ずかしながらそう思ってた。
当時中学生だった自分にとっては大金の500円を、甲府昇格に賭けてしまうほど楽観してた。(なんだかんだで結局払ってないな笑)
初降格の後ってJ2の厳しさ忘れるものなのかな。自分だけじゃなくみんな甘く見てた節がど
2007 挫折の一年
ついに夢のような時間から現実に引き戻された1年。
誰もの期待いい意味で裏切って残留を果たしたのに、バレー(→G大阪)倉貫(→京都)というまさかの移籍。
そしてアライールは音信不通。
それでも夢見心地の私はなんとかなると甘く見てた。現実はそう甘くなかった。
振り返ってみましょう!!
アルベルトとラドンチッチ
「俺たち入れ替わってるーー?」
※本文とは関係ありません。
バレーの後釜で加入し
2005 まさかまさかの昇格劇
バレー、大木武、ロスタイム3得点、ホーム最終戦の惨敗、杉山新涙のロスタイム、停電、ダブルハットトリック、J1昇格。
この年があったからこそ今の甲府があると言っても過言でない1年。
語りどころは盛り沢山だけど自分なりに振り返ってみよう。
ホーム湘南戦2-2ドロー
冒頭あれだけ言っときながらなぜこの試合なのか。
近藤家に取っての重大ニュースがあったのです。
「弟、炎のPK止められる」
炎のP
2004 歓喜の1年前
2004年、うーん1番記憶に残ってない1年。
前年の躍進と翌年の歓喜に挟まれて記憶にないのか、ただ単に昔だから忘れてるのか。
谷間の1年、そういえばこの年のアテネ五輪の代表も谷間の世代って呼ばれてたっけ。
絞り出してみた自分なりのトピックスは2件。
バロン大活躍と引き抜き
まず何と言ってもバロンが2度目の甲府帰還(元祖パラナ?)を果たしてゴールラッシュの大活躍。
画像の水戸戦は速報Jリ
2003 元代表とJ1の灯火
2003シーズンです。
昨年は1試合しか見てないので実質この年から本格的に見始めました。
当時はスカパー未加入でDAZNもないので、親父にパソコンで速報見てもらって「負けてるわ〜」って言われても信じない、大本営(サンニチ)の記事で見るまで信じないってスタンスでした。
時にはパソコンを勝手に立ち上げてJリーグ公式サイトの前にずっと張り付いて見てましたね。当時の公式サイトは得点するとgoalって文字と